群馬県みどり市にある要害神社。
心霊スポットで有名な”はねたき橋”の目と鼻の先にある要害山に安置されている神社である。
ここに曰くがあると知らなかったのだが、某心霊スポット配信者さんの情報で噂があると聞いて記事にすることにした。
恐らくは‘’はねたき橋’’や高津戸渓谷に纏わる物語が噂と関係しているのだと思う。
山田氏と高津戸城
要害神社は高津戸城と呼ばれる中世の山城である。
寛治年中(1087~1094)に山田七郎平吉之なる人物が築城したと云われているが、具体的なことは分かっていない。
1351年(観応2/正平6)、城主・山田則之の代に柄杓山城(桐生城)の桐生国綱によって山田氏は滅ぼされた。
里見氏と高津戸城
山田氏滅亡後に入城したのは里見氏連。
桐生国綱の娘を正室に迎えた人物である。
里見家は新田義重(河内源氏)の庶長子である里見義俊を祖とする血筋らしい。
南総里見八犬伝で有名な里見家のご先祖様!
高津戸城の終わり
1574年(天正2)、里見氏連より4代後の宗連は越後の上杉謙信に攻められ自刃したと伝わる。
元々、桐生氏に属する城だったため、その家臣が入城したと思われるが、程無くして新田金山の由良氏(横瀬氏)に桐生氏は攻め滅ぼされた。
高津戸城は由良氏の手に渡ったけれども、後北条氏と対立したため、黒保根にある深沢城の阿久沢氏に奪い取られてしまったようだ。
1590年(天正18)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡した辺りで高津戸城は廃城になったのではないかと云われている。
終わりに
『夜になるとブランコが独りでに動き出す。子供の幽霊が出る。』という噂があると某心霊配信で伺った。また高津戸城が攻め込まれた際、城のお姫様が崖から飛び降り絶命したなんて言い伝えがあるようだ。
残念ながら出典は明らかになっていない。
私もざっくりと調べてみたが、情報はネットに散見しているくらいで詳細は分からなかった。横を流れる渡良瀬川は断崖絶壁の渓谷となっており、ここを天然要害にしたことは間違いない。思うに攻城側は渓谷方面は見張る程度にし、反対の山々からじわじわと囲うように攻め入ったのではなかろうか?
追い詰められた籠城側が渡良瀬川に身投げした可能性も否定できないが、ある時点で降伏開城していると、私は思う。
徹底抗戦して全滅して居たらそれこそ歴史に残る城になっていただろう。
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