大正期に発生した碑文谷踏切事故に関係する鉄路犠牲者供養塔跡と責任地蔵尊

碑文谷踏切事故

品川区南品川の鉄路犠牲者供養塔と天龍寺の碑文谷踏切責任地蔵尊。

碑文谷踏切で発生した死亡事故の被害者と事故の責任を取る形で自殺した2名の踏切係の霊を慰めるために安置された供養塔と地蔵尊である。

もう少し詳しく見ていこう。

 

天龍寺へのアクセス

碑文谷踏切事故

京急本線・新馬場駅から徒歩5分。

お寺に駐車場もあるようだけれども、檀家さん以外が停めるのは微妙かもしれない。

駅から近いので地蔵尊が目的なら電車で向かおう。

 

碑文谷踏切事故とは

碑文谷踏切事故

1918年(大正7)5月19日午前1時05分、銀行員の新井慶藏(34)が乗っていた人力車が南品川の踏切で貨物列車に激突され命を落とした。運転手は咄嗟に離れたので事なきを得ている。

当時の踏切の係は須山由五郎(43)と竹内芳松(45)の二人であった。

巷では踏切係の居眠りによって引き起こされた事故と噂されたが、実際には遮断機の開閉タイミングの過ちによる事故だったのではないかという彼らに同情的な内容の記事を同年5月20日の読売新聞が発表している。

何れにしても二人は責任を痛感し、このあと列車に飛び込んだ。

 

終わりに

碑文谷踏切事故

鉄路犠牲者慰霊塔について

本慰霊塔はJRが国鉄時代、無人踏切があった頃に犠牲になられた方の慰霊のために国鉄から敷地を提供して頂き、ご遺族に代わって町会で建てたものです。
その後長い年月が経ちご遺族ご親類の方々が居なくなられた後もずっと町会で守ってまいりました。
しかし最近になり角柱も倒れてしまい、ご遺骨が埋葬されている訳でもなく、ご縁のある方も居ないことから、この際敷地内を整理しJRにお返ししようという運びになりました。
ということで本日を以って慰霊塔を取り払いますので、ご理解の程宜しくお願い申し上げます。

平成30年12月23日 同友会町会 会長 ○○○○

現地の貼り紙より引用

私が訪れた時にはもう供養塔は無かった。

ネットで過去の写真を眺めていると木製の供養塔の横に三角錐形の小さな石が置いてある事に気が付いた。改めて自分が撮影した写真を見返すと同じものが確認出来た。実はこれが供養塔の本体ではないかと勘繰ってみたが、どうだろうか?

オカルト界隈では『霊に追いかけられた』や『謎の笑い声がした』などといった漠然とした心霊現象が紹介されているけれど、この事件とはあまり関連性が無さそうである。

二人の自殺は、責任を感じてなのか?それとも自身の将来を絶望してなのか?或いは両方だろうか?

自殺の動機ははっきりとは分からないが、失敗を悔いて命を断ったのであれば頗る真面目で勤勉な方々だったに違いない。悪霊ではなく守護霊となって鉄道の安全を見守っていると思いたい。たまにはそういう幽霊がいてもいいではないか。

まあ、そもそも霊なんてものが存在するのか甚だ疑問ではあるが。

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