空蝉。
『うつせみ』と読む。
夏の季語。
『セミの抜け殻』『現在を生きる人間』の意味を持つ。
語源は古語の『現人(うつおしみ)』の訛りと云われていて、後に空蝉の字が当てられたようだ。
『人生はセミの抜け殻のように空っぽで虚しい』という厭世的な意味も含まれている。
空蝉橋の由来
JR大塚駅の東に架かる空蝉橋。
かつてこの辺りに赤松の大木があり、夏になるとセミの抜け殻が大量に発生したことから空蝉橋と名付けれらたと云う。明治天皇行幸の際、赤松にセミの抜け殻が付いていたのを御覧になって『空蝉の松』と命名したことが由来とする説もある。
1903年(明治36)に山手線・池袋~田端が開通。この頃に空蝉橋も架橋された。
昭和初期の航空写真から空蝉橋を見る
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1936/06/11(昭11)撮影))
赤丸が空蝉橋。
2002年(平成14)の読売新聞の記事に空蝉橋の過去の様子が記載されている。そのまま引用は出来ないので要約して紹介しよう。
1952年(昭和27)頃、橋の近くの家に嫁いだ女性が語る。
『当時は田畑の広がる長閑な場所でした。空蝉橋から線路沿いを歩くと湧き水があって、小さな沢が流れていました。そこで子供たちがザリガニを捕まえて遊んでいたのを覚えています。』
その頃の空蝉橋は車がやっと一台通れる程の幅だったそうだ。
橋の南西にあるのは巣鴨刑務所(巣鴨プリズン)である。巣鴨刑務所跡にも訪問したので、後日紹介する予定だ。
終わりに
幾つかのオカルトサイトで空蝉橋が心霊スポットとして紹介されている。幽霊出没の根拠は『橋からの投身自殺が多発したから』とのことである。
過去の新聞を調べてみたが、それらしき記事は1件しか見つからなかった。『2017年(平成29)に空蝉橋から男性が転落し、通過中の列車にはねられ死亡した。』というものだ。
自殺の情報は事件性がないと表沙汰にされないケースが殆どなので、調査しても徒労に終わりがちなのだが、多発と付けば話は別である。本当に多発して『いる』、或いは『いた』場所ならば情報の多寡の差はあれど、必ず何かしらの証拠が残っている。
本当にここは自殺の多発場所なのだろうか?甚だ疑問である。
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