墓マイラーもいい趣味ね!多くの偉人が眠る多磨霊園を歩く

多磨霊園

多磨霊園には多くの著名人が眠っている。

歴史上の偉人や著名人の墓を巡る趣味を持つ人を昔は掃苔家と呼んだらしい。掃苔は『苔を掃う』の意で、転じて墓参りの意味も持つ。歴史に思いを寄せる人々が故人を偲んで墓石の苔を拭う様が想像出来て、なんとも風流な名称である。

そんな人たちは現在では墓マイラーと呼ばれ一部の界隈で密かなブームとなっている。『墓+参る+er』で墓マイラー、つまり『墓を参る人』という意味になる。掃苔家と比べると随分と陳腐だけれども、現代っぽさがよく表れていてこれはこれで好いと思う。

さて、私は墓マイラーではないがサイトの性格上、墓場にはよく赴く。霊園の雰囲気だけ写真に収めればよいかとも考えたが、せっかく来たのだからと霊園内を散策することにした。

今回紹介する偉人や著名人の墓は撮影した順であって深い意味はない。

過去に多磨霊園に似た青山霊園や谷中霊園、雑司ヶ谷霊園にも訪問しているので、興味のある方は↓のリンクから御覧下され。

青山霊園は史跡扱いで良いと思う!現在日本の礎を築いた偉人達の墓を巡る散策記
私にとって墓地系心霊スポットは特筆すべき事が少ない。本当に霊が存在するのであれば、墓地以上に霊が出る場所はないだろう。心霊を主軸として紹介するのであれば、如何様にも話を盛り上げられると思うが、そうでない私はいまいち筆が進まない。と言ったものの、青山霊園は少々事情が異なる。
徳川慶喜、渋沢栄一などなどの著名人が眠る谷中霊園を散歩してきたので歴史の復習がてらに紹介する
心霊スポットの噂がある墓地と無い墓地の違いは何だろうか。ある程度の規模を持つ霊園であれば未練を残して亡くなった方が一定数いると思うが、霊の定義は曖昧であるし、人によっては見えると云ったり、はたまた見えないと云ったり、何を信じたらよいか知らん。
雑司ヶ谷霊園を歩く!こちらに眠る先人たちをざっくりではあるが紹介しようと思う
歴史上の偉人の墓が多くあると聞き入れ、雑司ヶ谷霊園へ赴いた。当然の如く心霊スポットの噂が流布されているようだが、今回の私にとっては些末な事である。このようなサイトを運営しているため、日頃から霊のことが頭から離れない私であるけれども、次々と眼前に現れる偉人達の墓を眺めている内にすっかり忘れてしまっていた。

 

中村榮次郎の墓

多磨霊園

中村榮次郎(なかむら えいじろう) 1928年(昭和3)~2011年(平成23)

東京府(東京都)出身の歌舞伎役者。

七代目・中村芝翫。屋号は成駒屋。重要無形文化財の各個認定の保持者(人間国宝)。女形の名優。

父の五代目・中村福助、祖父の五代目・中村歌右衛門、歌右衛門の養父である四代目・中村芝翫、歌右衛門の実父・土方政五郎の名前が墓誌に刻まれている。

 

川合玉堂の墓

多磨霊園

川合玉堂(かわい ぎょくどう) 1873年(明治6)~1957年(昭和32)

愛知県出身の画家。風景画の名人。

長瀞の渓谷と桜を描いた『紙本著色行く春図』は国の重要文化財に指定されている。

東京都青梅市に彼の作品を展示する玉堂美術館がある。

 

新渡戸稲造の墓

多磨霊園

新渡戸稲造(にとべ いなぞう) 1862年(文久2)~1933年(昭和8)

陸奥国盛岡藩(岩手県)出身の思想家。

5000円の人。

『武士道』の著作者。『武士道』は外国の人々に対して日本の伝統的な道徳観を解説した著書で、原文は英語で書かれている。

 

古賀峯一の墓

多磨霊園

古賀峯一(こが みねいち) 1885年(明治18)~1944年(昭和19)

佐賀県出身の軍人。最終階級は元帥海軍大将。

海軍甲事件で山本五十六が戦死した後、連合艦隊司令長官に着任した。

1944年(昭和19)3月に発生した米軍によるパラオ大空襲を受け、パラオからダバオへ移動する最中に行方不明となり殉職として扱われた。

 

山本五十六の墓

多磨霊園

山本五十六(やまもと いそろく) 1884年(明治17)~1943年(昭和18)

新潟県出身の軍人。最終階級は元帥海軍大将。

『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ』や『男の修行』の名句を残した軍人。

恐らく太平洋戦争時で最も著名な軍人ではないだろうか。

米内光政、井上成美と共に米国との開戦を危惧し日独伊三国同盟に反対したことで知られている。

 

東郷平八郎の墓

多磨霊園

東郷平八郎(とうごう へいはちろう) 1848年(弘化4)~1934年(昭和9)

薩摩国(鹿児島県)出身の軍人。最終階級は元帥海軍大将。

日露戦争でバルチック艦隊を破った提督。神奈川県の横須賀には彼が連合艦隊を指揮した旗艦・三笠が展示されている。

東京都原宿には彼を祀る東郷神社が鎮座する。

 

西園寺公望の墓

多磨霊園

西園寺公望(さいおんじ きんもち) 1849年(嘉永2)~1940年(昭和15)

山城国(京都府)出身の公家、政治家。第12・14代内閣総理大臣。最後の元老。

非常に聡明で洗練された人物であった。

晩年は世界大戦に介入していく日本の将来を憂いていたようだ。

 

齋藤実の墓

多磨霊園

斎藤実(さいとう まこと) 1858年(安政5)~1936年(昭和11)

陸奥国仙台藩(岩手県)出身の軍人、政治家。最終階級は海軍大将。第30代内閣総理大臣。

満州事変を切っ掛けに日本が国際連盟を脱退した時期の首相である。

二・二六事件で凶弾に倒れた。

 

大岡昇平の墓

多磨霊園

大岡昇平(おおおか しょうへい) 1909年(明治42)~1988年(昭和63)

東京府(東京都)出身の小説家。

代表作は、太平洋戦争での自身の戦争体験を基に書かれた『俘虜記』『野火』、レイテ島での戦いを詳らかに調査、取材した『レイテ戦記』などがある。

多趣味な方だったらしい。

 

高橋是清の墓

多磨霊園

高橋是清(たかはし これきよ) 1854年(安政1)~1936年(昭和11)

武蔵国江戸(東京都)出身の政治家。第20第内閣総理大臣。

極めて優れた財政家であり大蔵大臣に5度も選任されている。

愛称はダルマさん。肖像画像を見れば納得していただけると思う。

軍事費を巡って軍部と険悪となり、二・二六事件で凶弾に倒れた。

 

黒木為楨の墓

多磨霊園

黒木為楨(くろき ためもと) 1844年(天保15)~1923年(大正12)

薩摩国(鹿児島県)出身の軍人。最終階級は陸軍大将。

日露戦争では第1軍司令官に任命されロシア軍からは『クロキンスキー』と呼ばれ恐れられたと云う。

猪突猛進型の軍人だったそうだ。

 

大平正芳の墓

多磨霊園

大平正芳(おおひら まさよし) 1910年(明治43)~1980年(昭和55)

香川県出身の政治家。第68・69代内閣総理大臣。

知性を備えた非凡な政治家であったが、総裁就任時は混沌とした党内抗争に翻弄され、思うように手腕を発揮出来なかった。

出典は不明であるが、ネット上では田中角栄が大平正芳を『政治家というよりは宗教家や哲学者』と評したと紹介されている。

 

平沼騏一郎の墓

多磨霊園

平沼騏一郎(ひらぬま きいちろう) 1867年(慶応3)~1952年(昭和27)

美作国(岡山県)出身の政治家。第35代内閣総理大臣。

内閣総理大臣任期中にソビエト連邦と対立したノモンハン事件が発生している。ソビエト連邦に対抗するためドイツと軍事同盟を進めていたが、ドイツがソビエト連邦と独ソ不可侵条約を結んだため『複雑怪奇』声明を残し総辞職した。

戦後はA級戦犯として終身刑を宣告された。病気で仮釈放となったが、その年に亡くなっている。

 

有島武郎の墓

多磨霊園

有島武郎(ありしま たけお) 1878年(明治11)~1923年(大正12)

東京府(東京都)出身の小説家。

代表作に『カインの末裔』や『或る女』『一房の葡萄』がある。

むかし読んだ記憶はあるのだけれども『一房の葡萄』以外は余り記憶に残っていない。

軽井沢の別荘で心を寄せていた女性と心中を遂げた。

 

長谷川町子の墓

多磨霊園

長谷川町子(はせがわ まちこ) 1920年(大正9)~1992年(平成4)

佐賀県出身の漫画家。師匠は『のらくろ』で知られる田河水泡。

サザエさんの原作者。

テレビアニメのサザエさんは1969年(昭和44)10月5日から放送が開始され未だに続く長寿番組である。『最も長く放映されているテレビアニメ番組』としてギネス世界記録に認定された。

 

北原白秋の墓

多磨霊園

北原白秋(きたはら はくしゅう) 1885年(明治18)~1942年(昭和17)

熊本県出身の詩人。

詩の世界に疎いので詳しくないが、音楽に携わっていた時期があるので『曼珠沙華』や『からたちの花』『かやの木山の』はよく覚えている。これだと北原白秋より山田耕筰の印象が濃いか?

長い年月童謡として歌われ続けているので、日本の詩人の中では取り分けて著名な方だと思う。

 

中島知久平の墓

中島知久平

中島知久平(なかじま ちくへい) 1884年(明治17)~1949年(昭和24)

群馬県出身の実業家、政治家。

戦時中に多くの飛行機を生産した中島飛行場の創始者。GHQによってA級戦犯に指定され公職追放の憂き目にあう。後にA級戦犯の指定を解除されたが、解除から2年後に脳出血で亡くなった。

自動車のSUBARUは中島飛行場が前身である。群馬県太田市にあるSUBARU群馬製作所本工場の住所は『スバル町』。居住者はゼロ。

SUBARUに思い入れのある群馬県民はそれなりにいるようだ。中島飛行場が群馬発という歴史に関係しているのかもしれない。私は群馬県出身だが、今のところその感情はない。

 

岡本太郎の墓

多磨霊園

岡本太郎(おかもと たろう) 1911年(明治44)~1996年(平成8)

神奈川県出身の芸術家。

『芸術は爆発だ』の名台詞と大阪万博の『太陽の塔』で有名な御方。

墓石は1967年(昭和42)に氏が制作した『午後の日』の複製。父の岡本一平の墓石には『顔』という作品が使われている。

多磨霊園内で最も個性的な区画である。

 

菊池寛の墓

多磨霊園

菊池寛(きくち かん) 1888年(明治21)~1948年(昭和23)

香川県出身の小説家、実業家。

文藝春秋を創刊した人物。芥川賞や直木賞の産みの親。

『恩讐の彼方に』は数回呼んだのでよく覚えている。『父帰る』や『義民甚兵衛』も魅力的に感じた。

長編はまだ読んだことがないので、今度じっくり読もうかと思う。

 

山下奉文の墓

多磨霊園

山下奉文(やました ともゆき) 1885年(明治18)~1946年(昭和21)

高知県出身の軍人。最終階級は陸軍大将。

太平洋戦争の最序盤に英国領のマレー半島とシンガポールを攻略したことから『マレーの虎』と称された。本人は虎と呼ばれるのを嫌がったそうだが。

終戦後に戦争責任を取らされフィリピンで絞首刑となった。

極めて優秀で気高い軍人であった。彼に関する書籍が幾つか刊行されているので、興味のある方は是非読んで頂きたい。或いはwikipediaの情報でも十分かもしれないが、連合軍による一方的な軍事裁判から処刑までの流れは余りに無念で涙を誘う。

 

林銑十郎の墓

多磨霊園

林銑十郎(はやし せんじゅうろう) 1876年(明治9)~1943年(昭和18)

石川県出身の政治家、軍人。最終階級は陸軍大将。第33代内閣総理大臣。

満州事変のとき、林は朝鮮軍司令官であった。『奉勅命令が下るまで留まるように』と参謀本部から指示を受けていたにも拘らず、鴨緑江の渡河(国境越え)を配下に命じたため『越境将軍』と呼ばれた。これは擅権の罪で処刑されても不思議で無かったが、事後承認され事なきを得ている。

林内閣は短命で大きな実績を残せなかったことから『何もせんじゅうろう内閣』と皮肉られた。

 

吉川英治の墓

多磨霊園

吉川英治(よしかわ えいじ) 1892年(明治25)~1962年(昭和37)

神奈川県出身の歴史小説家。

代表作には『宮本武蔵』『三国志』『新・平家物語』などがある。

私は歴史小説に若干の抵抗があるので、まだ読んでいない。いつかは手に取ってみようかと考えている。

 

中山晋平の墓

多磨霊園

中山晋平(なかやま しんぺい) 1887年(明治20)~1952年(昭和27)

長野県出身の作曲家。

『シャボン玉』『あめふり』『てるてる坊主』は誰もが聞いたことのある曲だと思う。

『あめふり』は前述した北原白秋の詩である。

 

田山花袋の墓

多磨霊園

田山花袋(たやま かたい) 1872年(明治4)~1930年(昭和5)

栃木県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)出身の小説家。上毛かるたの『ほ』の札『誇る文豪 田山花袋』

女のなつかしい油のにおいと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟のビロードの際立って汚れているのに顔を押し付けて、心ゆくばかりなつかしい女のにおいをかいだ。

田山花袋 蒲団より

自然主義文学の担い手。

『蒲団』は田山花袋の実体験である。ありのままを表現する露骨な描写に世間は衝撃を受けた。

どの作品も平易で読みやすいので明治から昭和にかけての小説を読んでみたい方におすすめする。『蒲団』はちょっとあれなので『田舎教師』なんかが良いかもしれない。紀行文も多く残している。

 

与謝野鉄幹、与謝野晶子の墓

多磨霊園

与謝野鉄幹(よさの てっかん) 1873年(明治6)~1935年(昭和10)
与謝野晶子(よさの あきこ) 1878年(明治11)~1942年(昭和17)

鉄幹は京都府出身。晶子は堺県(現・大阪府)出身。歌人夫婦。

短歌や和歌の世界も勉強したら世の中広がるのだろうか。全く未知の世界である。

両者ともお名前は存じ上げているが詳しいことは知らない。

 

堀辰雄の墓

多磨霊園

堀辰雄(ほり たつお) 1904年(明治37)~1953年(昭和28)

東京府(東京都)出身の小説家。

代表作は『風立ちぬ』『菜穂子』など。

まだ彼の作品に触れていないので、読んだら追記しようかと思う。

 

向田邦子の墓

多磨霊園

向田邦子(むこうだ くにこ) 1929年(昭和4)~1981年(昭和56)

東京府(東京都)出身の脚本家、エッセイスト。

『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などを世に送り出したことで知られている。

1981年8月22日に台湾で発生した遠東航空103便墜落事故で亡くなった。

 

江戸川乱歩の墓

多磨霊園

江戸川乱歩(えどがわ らんぽ) 1894年(明治27)~1965年(昭和40)

三重県出身の推理小説家。

ペンネームの由来はアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーのオマージュ。

『名探偵コナン』の影響でより一層有名になった感がある。

私は推理小説というものを読んだためしがない。

 

徳富蘇峰の墓

多磨霊園

徳富蘇峰(とくとみ そほう) 1863年(文久3)~1957年(昭和32)

肥後国(現・熊本県)出身のジャーナリスト、評論家、思想家。

その経歴は言い尽くせない。戦前の日本に大きな影響を与えた思想家の一人である。

小説家の徳冨蘆花は蘇峰の実弟。

 

多磨霊園

畑英太郎 1872年8月28日(明治5)~1930年(昭和5)

福島県出身の軍人。最終階級は陸軍大将。

弟に陸軍元帥大将の畑俊六がいる。

張作霖爆殺事件の後に関東軍司令官に任命された。その後の日本を大きく動かすであろう大任を司ったが、突如として病死してしまった。毒殺されたという説もあるそうだ。

 

終わりに

多磨霊園

丹波哲郎(たんば てつろう) 1922年(大正11)~2006年(平成18)

東京府(東京都)出身の俳優、心霊研究家。

彼のお墓に参拝するために多磨霊園へ赴いたと言っても過言でない。

私は俳優の丹波哲郎を知らない。こどもの頃、テレビで盛んに放映されていた心霊系番組でしばしば拝見した記憶が残っている。

自身が信じた霊界に無事辿り着けたのであろうか?最晩年は霊界について語らなくなったという話もがるが…。

心霊系の書籍もたくさん出しているようなので、時間があれば読んでみようかと思っている。

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