横浜市にある神奈川県立歴史博物館。
名前の通り神奈川県の文化と歴史をテーマとする博物館である。
1904年(明治37)に完成したこの建物は『旧横浜正金銀行本店本館』という名称で国の重要文化財に指定されているのであるが、どういうわけか曰く付きの建物として知られている。
どのような歴史のある建築物なのだろうか?
過去を振り返ってみよう。
国指定文化財等データベースには、
この建物は明治三十三年着工し、明治三十七年に完成した石造三階建である。
現在は神奈川県の所有になり、関東大震災で被災したドームを復原し、一部増築および改修をして県立博物館に使用している。
明治三十年代における代表的洋風建築で、外観はよく保存されておりすぐれた意匠をもっている。
国指定文化財等データベース 旧横浜正金銀行本店本館
とある。
横浜正金銀行は1880年(明治13)に設立された貿易金融の専門銀行とのこと。
恥ずかしながら金融に関する専門知識が全くないため詳細の説明は他に譲ります。
ちょっと調べてみたけどうまくまとめることが出来ませんでした……。
興味のある方はwikipediaでも読んでみてね。
なぜ、心霊スポットの噂が?
心霊スポットの噂が流れている理由は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にある。
横浜正金銀行は、南仲通5丁目にあり、石造、建築面積743坪(本館653坪、付属建物90坪)、地下1階地上3階建てである。
地震発生後の13時には、建物の窓(外部の鉄扉)や出入口を閉じ、広場等周囲の避難者200
人を含む行員約100人、傭人約40人、計340人が、弁天通川崎銀行支店に面する方の地下室に避難した。15時ごろには1階が焼失するが、地下室炊事場にあった汲み置き水や、焼失を免れた川崎銀行側の窓を開けることにより新鮮な空気を取り込んでしのぎ、16時30分には全員が安全な状況となった。しかし、周辺では逃げ遅れてきた140人が焼死していた。
報告書(1923 関東大震災第2編) 第1章 消防と医療より
この文章の“周辺では逃げ遅れてきた140人が焼死していた。”が強調されて噂の根拠となっているようだ。
関東大震災によって横浜市では25,000人以上の死者・行方不明者が出ている。
『横浜では至る所で幽霊の出没が確認されている。それらは関東大震災によって無念の内に亡くなられた方々だ。』と言われればまだ納得出来るのだが、横浜正金銀行周辺で亡くなった140人を拾い上げて『この建物には幽霊が出ます。』と言われても釈然としない。
まあ、幽霊を感知出来る方々に『いや、出ます。』と言われたら、感知出来ない私は沈黙するしかないのだが……。
終わりに
1923年(大正12年)9月25日の読売新聞朝刊に横浜正金銀行と関東大震災に関する記事があった。引用は出来ないので要約して紹介する。
当時、横浜正金銀行に避難した300名は全て焼死してしまったという噂が一般に流布されていた。
しかし、支配人はこれを否定。
確かに多少の死者はあったが、大部分は副支配人の采配によって銀行内の安全な場所に避難され、鎮火後は安全な場所へ誘導されたのである。
これを読むと当時から心霊スポットの根となるような噂があったと窺える。
建物周辺で亡くなった140名はとても気の毒ではあるが、銀行側の判断によって300名の命が助かったのも事実である。被害者だけの情報を記載すると恰も銀行が彼らを閉め出したかのように見えなくもないから、この場合生還者の情報も載せるべきではないかと思うのである。
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