墓地

千葉県

大須賀山(堂の山)に頂に安置される馬加康胤の首塚と五輪塔の謎について

墓石や地蔵尊を脇目に奥地へ進み入ると人為的に盛り土したような小高い丘が現れ、頂に背の高い五輪塔が聳え立つ。この丘は室町時代前期に活躍した馬加康胤という武将の首塚だと伝わり、馬加康胤の死去から凡そ180年後の1637年(寛永14)に五輪塔は建てられた。
千葉県

死人坂と東福寺の関係について

死人坂の名が記載されている文献は見当たらない。千仏堂跡には東福寺の檀家のお墓がある。千仏堂へ葬列が向かう風景から、このような俗称で呼ばれるようになったのではないかと思う。もともと東福寺の境内は1つの台地にあって、千仏堂と東福寺の間に坂は無かった。昭和30年代の開発によって台地が削られ坂が出来た。
東京都

麻布山善福寺と逆さイチョウ!なぜ心霊スポットの噂が?

さて、当ブログで紹介している場所は情報の多寡はあれど全てに心霊スポットの噂がある。心霊スポットを扱う他のサイトを拝見すると『戦国時代に討ち取った敵の手首をイチョウの近くに置いて手柄を報告した。それ故に"血吸いイチョウ"と呼ばれている。』と記されていた。
東京都

『怪談』の著者・小泉八雲が眠る雑司ヶ谷霊園を歩く!

歴史上の偉人の墓が多くあると聞き入れ、雑司ヶ谷霊園へ赴いた。当然の如く心霊スポットの噂が流布されているようだが、今回の私にとっては些末な事である。このようなサイトを運営しているため、日頃から霊のことが頭から離れない私であるけれども、次々と眼前に現れる偉人達の墓を眺めている内にすっかり忘れてしまっていた。
東京都

徳川慶喜のお墓がある谷中霊園を散歩してきた

心霊スポットの噂がある墓地と無い墓地の違いは何だろうか。ある程度の規模を持つ霊園であれば未練を残して亡くなった方が一定数いると思うが、霊の定義は曖昧であるし、人によっては見えると云ったり、はたまた見えないと云ったり、何を信じたらよいか知らん。
東京都

青山霊園は史跡でしょ?!近代日本の礎を築いた偉人達の墓を巡る

私にとって墓地系心霊スポットは特筆すべき事が少ない。本当に霊が存在するのであれば、墓地以上に霊が出る場所はないだろう。心霊を主軸として紹介するのであれば、如何様にも話を盛り上げられると思うが、そうでない私はいまいち筆が進まない。と言ったものの、青山霊園は少々事情が異なる。
東京都

都会の心霊スポット!墓地の下を通る千駄ヶ谷トンネルへ

千駄ヶ谷二丁目、仙寿院交差点と神宮前交差点の間に位置する千駄ヶ谷トンネルには心霊の噂が流れているらしい。"化けトン"と言えば、ひと気の無い薄気味悪い所を想像するが、千駄ヶ谷のトンネルは味気のないボックスカルバートである。このような現代的なトンネルに如何なる曰くがあるのだろうか?
東京都

ゆぎ霊園へ!墓地系の心霊スポットは一部の例外を除いては残念な記事になるというお話

ゆぎ霊苑は曹洞宗の西光寺が有する寺院墓地である。心霊スポットの噂があると聞きつけ向かったのだが、何処にでもありそうな普通の墓地で、墓という以外に心霊の根拠は見つからなかった。何か具体的な情報をお持ちの方がいらっしゃれば、是非ご教授いただきたい。
群馬県

織田信雄が築いた楽山園と織田宗家七代の墓所へ【群馬】

1558年(永禄1)、織田信雄は織田信長と側室の生駒吉乃の間に生まれました。1569年(永禄12)に伊勢の北畠具房の養嗣子として入り1575年(天正3)に北畠氏の家督を相続します。この相続はかなり強引だったらしく北畠具房と北畠家臣達は反感を抱き、陰で悪事を働くようになってしまいます。
熊本県

臼内切へ!肥後細川藩幕末秘聞を読んで

臼内切は臼根切とも記される。キリシタン弾圧を『デウス(神)の根を切る。』と例えたことが語源だ。肥後細川藩幕末秘聞によると臼内切は室町時代からある地名なので臼根切は後世の造語だと言い切っている。虐殺は嘉永6年(1853)に行われたと伝わる。しかし虐殺は口伝だけで公式の史料は残っていない。
佐賀県

佐賀藩の祖・鍋島直茂の軌跡。胞衣塚と高伝寺の墓所へ【佐賀】

佐賀の鍋島の御殿様が囲碁を打っているときカッとなって相手を殺してしまいました。殺された人の名前を龍造寺といいます。その死は隠されましたが龍造寺の母がそのことを知り、飼っていた猫に恨みを果たしてもらうよう自身の血を舐めさせ亡くなります。
佐賀県

龍造寺隆信の生誕地と高伝寺境内の墓へ【佐賀】

龍造寺隆信は1529年に肥前国の水ヶ江城で生まれた武将です。龍造寺氏は国人衆として少弐氏に仕えていましたが、隆信の下剋上によって戦国大名まで上り詰めています。肥前国を統一後、更なる勢力拡大を目指し豊後国の大友氏や薩摩国の島津氏と対立するようになりました。
佐賀県

江藤新平と佐賀の乱について【佐賀】

江藤新平は幕末から明治初期に活躍した佐賀県出身の政治家で、『佐賀の七賢人』、明治政府に貢献した『維新の十傑』の一人に選ばれています。征韓論を巡る政争の結果起きたとされる明治六年政変で下野したのち、佐賀県に帰省し佐賀の乱のリーダーの一人として新政府軍と戦いますが、新政府軍に敗北し捕縛され獄門に処されてしまいます。
大分県

兵隊の像はなんで心霊スポットなのか?【大分】

大分市のとある場所にある兵隊の像。有名な心霊スポットだと噂を聞き行ってきました。兵隊の像は気を付けの姿勢をしています。昔は敬礼していたなんていう噂があるようです。まぁ、信じられませんね。まだその方が理解出来ます。兵隊の像は一体何のために建てられているのか?
東京都

増上寺の歴史と徳川将軍家墓所の謎【東京】

芝大門にある増上寺は小田原征伐後に関東へ入部した徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗の寺院です。境内に徳川将軍家墓所があるのですが、何故か15代将軍全員のお墓はありません。ということで今回は増上寺の歴史と菩提寺なのに将軍全員の墓がない理由について見ていくことにしましょう。
東京都

小塚原刑場跡と首切り地蔵について【東京】

日光街道の小塚原刑場。東海道の鈴ヶ森刑場、甲州街道の大和田刑場。これら三箇所は江戸三大処刑場と呼ばれ怖れられていました。鈴ヶ森刑場跡については【斬って磔、燃やされる鈴ヶ森刑場 編】で紹介しています。そして今回は荒川区南千住駅近くにある小塚原刑場跡へ。