墓地

山梨県

武田氏滅亡の地に訪れて。侍女16名が殉死したと伝わる姫ヶ淵…etc.

姫ヶ淵は武田勝頼の継室(北条夫人)に付き従った侍女が身を投じた場所と伝わる。現地には激流の大渦を背景に北条夫人と16名の侍女が描かれた慰霊碑が置かれている。夫人が侍女たちに最期の指示を与えているシーンであろうか。
茨城県

数百基の横穴墓群?!曾我兄弟の伝説残る十五郎穴へ

『十五郎』の由来はこの地に隠れ住んでいたと伝わる十郎・五郎という人物から。この二人は日本三大仇討に数えられる曾我兄弟の仇討ちの主人公である曽我祐成と時致兄弟を指す。曾我兄弟の仇討ちについては↓の記事で紹介しているので、興味のある方は御覧いただきたい。
東京都

ありがた山に整然と建ち並ぶ石碑群の由来について調べてみた

『ありがた山』は心霊スポットと知られているが、歴史の背景を知るとそう思えなくなってくる。『墓=幽霊』と短絡的に考えればそうなのかもしれないが、震災によって捨て置かれていた墓を有志が集め祀った場所なのだから、どちらかといえば神聖な場所なのではなかろうか。
山梨県

おむつ塚の由来について。ジャラジャラと鳴る鎖の音が…?(笑)

日本には様々な事物を供養する宗教観があることから、『おむつ塚』について何も知らなかった私は『人間が穿くおむつ』を供養するための塚だろうか?と本気で考えていた。『おむつ』は女性の名前である。
埼玉県

コロボックルの住処だった?!埼玉県にある国の重要文化財・吉見百穴へ

掘削に適した凝灰質砂岩の岩盤に確認出来るだけで219基もの横穴が穿たれている。大昔、この地域を支配していた豪族がここに葬られたのであろう。坪井は土蜘蛛(コロボックル)の住居であったと推定し、住居の役目を終え墳墓に入れ替わったのではないかと考えた。
東京都

墓マイラーもいい趣味ね!多くの偉人が眠る多磨霊園を歩く

歴史上の偉人や著名人の墓を巡る趣味を持つ人を昔は掃苔家と呼んだらしい。掃苔は『苔を掃う』の意で、転じて墓参りの意味も持つ。墓を巡る方々が歴史や故人を偲び墓石の苔を拭う様が想像出来て、なんとも風流な名称である。
東京都

東京競馬場の怪異!魔の第3コーナーと都指定旧跡・井田是政墓について

東京競馬場の第3コーナーから第4コーナーの間にある井田是政の墓である。赤丸で囲っている場所が井田是政の墓で、墓の辺りは通称・大ケヤキと呼ばれている。井田是政の先祖とされる畠山重忠については彼の首塚に訪れたので後日紹介しようかと思う。
東京都

三千人塚では無かった?鎌倉攻めに関する史跡だと思って訪問したが…

厳重に柵に囲まれた小さな塚に立派なエノキの木が生え、その根元には青みがかった板碑が安置されている。この塚は新田義貞による鎌倉攻めの一環で発生した分倍河原の戦いの戦没者を弔うために建てられたという伝承から三千人塚と名付けられた。
神奈川県

かつて緑ヶ丘霊園にあった『さとしちゃん像』について

むかし、緑ヶ丘霊園にさとしちゃん像と呼ばれる像が建っていたのだが、現在は撤去されている。さとしちゃん像の裏手にあるため池で事故死をした少年の慰霊碑だと考えられている。それ以降子どもの幽霊が出るようになったと云われている訳だ。
栃木県

栃木三大廃病院?!霊園の駐車場に生まれ変わった都賀病院跡地へ

かつてここには通称・都賀病院と呼ばれる廃病院があった。現在は霊園として整備されている。ネット上で建物が現存していた時代の画像を見るとレントゲン室や手術室が残っていることが分かる。『都賀病院 廃墟』とでも調べれば検索にHITするので興味のある方は調べてみるといいだろう。
神奈川県

源氏の頭領!鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓は何故質素なのか?

源頼朝の死は謎に包まれている。鎌倉時代の歴史を語るに外せない史書・吾妻鏡は頼朝死去の前後の記述を残していない。他の史料からほぼ間違いなく1199年(建久10)1月13日に亡くなったと判明していて、家臣の妻を供養するために出掛けた帰りに落馬してそれが原因で病気となり死亡したと云われることが多い。
神奈川県

鎌倉幕府の終焉地、腹切りやぐらへ!太平記に描かれる北条高時の最期について

この場合の『やぐら』は見張り台の櫓ではなく横穴式墳墓を指す。腹切りやぐらは鎌倉幕府第14代執権・北条高時が切腹した場所と伝わるが、太平記を読む限りやぐらで切腹をした描写は無い。東勝寺跡は数回に亘って発掘調査が行われており、その実在は証明されている。腹切りやぐらまでのハイキングコースは全面通行止めとなっている。
神奈川県

中世の大墳墓!まんだら堂やぐら群跡に訪れたけど…。期間限定オープンだったというお話…。

鎌倉七口のひとつ名越切通の中にあるまんだら堂やぐら群。『やぐら』とは鎌倉市に点在する中世の横穴式墳墓のことで、主に武士や僧侶、文化人などの上流階級の人々が埋葬された。鎌倉時代後期から室町時代中期頃まで造られた『やぐら』は3000基以上確認されている。まんだら堂やぐら群は現在のところ常時開放されていない。
千葉県

大須賀山(堂の山)に頂に安置される馬加康胤の首塚と五輪塔の謎について

墓石や地蔵尊を脇目に奥地へ進み入ると人為的に盛り土したような小高い丘が現れ、頂に背の高い五輪塔が聳え立つ。この丘は室町時代前期に活躍した馬加康胤という武将の首塚だと伝わり、馬加康胤の死去から凡そ180年後の1637年(寛永14)に五輪塔は建てられた。
千葉県

死人坂と東福寺の関係を教えて頂いた!過去の空中写真も眺めて確かめよう

死人坂の名が記載されている文献は見当たらない。 千仏堂跡には東福寺の檀家のお墓がある。 千仏堂へ葬列が向かう風景から、このような俗称で呼ばれるようになったのではないかと思う。 もともと東福寺の境内は1つの台地にあって、千仏堂と東福寺の間に坂は無かった。 昭和30年代の開発によって台地が削られ坂が出来た。
東京都

麻布山善福寺と逆さイチョウ!なぜ心霊スポットの噂が?

さて、当ブログで紹介している場所は情報の多寡はあれど全てに心霊スポットの噂がある。心霊スポットを扱う他のサイトを拝見すると『戦国時代に討ち取った敵の手首をイチョウの近くに置いて手柄を報告した。それ故に"血吸いイチョウ"と呼ばれている。』と記されていた。
スポンサーリンク