墓地

東京都

分倍河原の戦いと三千人塚【東京】

厳重に柵に囲まれた小さな塚に立派なエノキの木が生え、その根元には青みがかった板碑が安置されている。この塚は新田義貞による鎌倉攻めの一環で発生した分倍河原の戦いの戦没者を弔うために建てられたという伝承から三千人塚と名付けられた。
神奈川県

江の島で修業して鍼治療の達人になった杉山和一について【神奈川】

杉山和一(1610~1694)。現在の三重県津市の出身。幼少期に伝染病で失明し、長男として家を継ぐことをあきらめて義弟に杉山家を譲ります。17歳位の時に鍼術の道を目指し、山瀬琢一なる人物に師事しますが、上達せず破門されてしまいます。 破門されて絶望しますが『盲目の自分が生き抜いていくには鍼術の道しかない』と江の島の弁財天の下で命を賭した断食修行を行いました。
大分県

豊薩合戦の戦死者が弔われた千人塚【大分】

大分県竹田市に千人塚と呼ばれる場所があります。ここでは戦国時代後期、九州統一を目指す薩摩国の島津氏と没落の一途を辿る豊後国の大友氏が熾烈な争いを繰り広げました。この戦いを豊薩合戦と呼びます。千人塚は数多の戦死者を弔うために作られた首塚です。...
群馬県

ギャンブル運UP?国定忠治の墓にお参りしてきた【群馬】

忠治の墓には『勝負運(ギャンブル運)』の御利益があるとされています。墓石を削ってお守りにするとギャンブルに勝てるという噂が流布されたため、柵が設置されたようです。忠治は博打場の主催者です。元締めはカモを見つけて搾取するのが仕事です。そのような仕事をしていた人間の墓に勝負運のご利益などあるようには思えません。
大分県

豊薩合戦・戸次川の戦いと長宗我部信親のお墓【大分】

長宗我部元親が提言したように先陣が戸次川を渡ったところで伏兵の銃撃に遭い壊滅、後陣はこれを見て引き返そうとしたところ島津勢は早々に川へ入り追い討ちします。土佐物語によると仙石秀久は小倉の城へ、大友義統は妙見龍王の城へ逃げ込んだとあります。
鹿児島県

東郷平八郎の生涯!彼のゆかりの地を訪れて【鹿児島】

『陸の大山、海の東郷』『東洋のネルソン』『アドミラル・トーゴー』などなど様々な二つ名がある近代日本の窮地を救った英雄・東郷平八郎。東郷平八郎は大日本帝国海軍・連合艦隊を率い、大国ロシアと死闘を繰り広げ、遂には日本を勝利に導きました。今回は主に小笠原長生の【聖將 東鄕平八郎傳】を引用しつつ彼の生涯を追っていきます。
山梨県

武田氏滅亡の地に訪れて。侍女16名が殉死したと伝わる姫ヶ淵…etc.【山梨】

姫ヶ淵は武田勝頼の継室(北条夫人)に付き従った侍女が身を投じた場所と伝わる。現地には激流の大渦を背景に北条夫人と16名の侍女が描かれた慰霊碑が置かれている。夫人が侍女たちに最期の指示を与えているシーンであろうか。
茨城県

曾我兄弟の伝説が残る十五郎穴へ【茨城】

『十五郎』の由来はこの地に隠れ住んでいたと伝わる十郎・五郎という人物から。この二人は日本三大仇討に数えられる曾我兄弟の仇討ちの主人公である曽我祐成と時致兄弟を指す。曾我兄弟の仇討ちについては↓の記事で紹介しているので、興味のある方は御覧いただきたい。
東京都

ありがた山に整然と建ち並ぶ石碑群【東京】

『ありがた山』は心霊スポットと知られているが、歴史の背景を知るとそう思えなくなってくる。『墓=幽霊』と短絡的に考えればそうなのかもしれないが、震災によって捨て置かれていた墓を有志が集め祀った場所なのだから、どちらかといえば神聖な場所なのではなかろうか。
山梨県

おむつ塚の由来について【山梨】

日本には様々な事物を供養する宗教観があることから、『おむつ塚』について何も知らなかった私は『人間が穿くおむつ』を供養するための塚だろうか?と本気で考えていた。『おむつ』は女性の名前である。
東京都

偉人の眠る多磨霊園を歩く【東京】

歴史上の偉人や著名人の墓を巡る趣味を持つ人を昔は掃苔家と呼んだらしい。掃苔は『苔を掃う』の意で、転じて墓参りの意味も持つ。墓を巡る方々が歴史や故人を偲び墓石の苔を拭う様が想像出来て、なんとも風流な名称である。
東京都

東京競馬場の怪異?魔の第3コーナーと井田是政墓について【東京】

東京競馬場の第3コーナーから第4コーナーの間にある井田是政の墓である。赤丸で囲っている場所が井田是政の墓で、墓の辺りは通称・大ケヤキと呼ばれている。井田是政の先祖とされる畠山重忠については彼の首塚に訪れたので後日紹介しようかと思う。
神奈川県

緑ヶ丘霊園にあった『さとしちゃん像』について【神奈川】

むかし、緑ヶ丘霊園にさとしちゃん像と呼ばれる像が建っていたのだが、現在は撤去されている。さとしちゃん像の裏手にあるため池で事故死をした少年の慰霊碑だと考えられている。それ以降子どもの幽霊が出るようになったと云われている訳だ。
栃木県

栃木三大廃病院?!霊園の駐車場に生まれ変わった都賀病院跡地へ

かつてここには通称・都賀病院と呼ばれる廃病院があった。現在は霊園として整備されている。ネット上で建物が現存していた時代の画像を見るとレントゲン室や手術室が残っていることが分かる。『都賀病院 廃墟』とでも調べれば検索にHITするので興味のある方は調べてみるといいだろう。
神奈川県

源氏の頭領!鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓は何故質素なのか?

源頼朝の死は謎に包まれている。鎌倉時代の歴史を語るに外せない史書・吾妻鏡は頼朝死去の前後の記述を残していない。他の史料からほぼ間違いなく1199年(建久10)1月13日に亡くなったと判明していて、家臣の妻を供養するために出掛けた帰りに落馬してそれが原因で病気となり死亡したと云われることが多い。
神奈川県

鎌倉幕府の終焉地!北条高時の最期と腹切りやぐら

この場合の『やぐら』は見張り台の櫓ではなく横穴式墳墓を指す。腹切りやぐらは鎌倉幕府第14代執権・北条高時が切腹した場所と伝わるが、太平記を読む限りやぐらで切腹をした描写は無い。東勝寺跡は数回に亘って発掘調査が行われており、その実在は証明されている。腹切りやぐらまでのハイキングコースは全面通行止めとなっている。