大分市丹川にある赤迫池は灌漑用水(農業)のために造られた人工の溜池です。歴史は古く、1662年(寛文2年)に当時この辺りを治めていた臼杵藩の命を受けた奉行の安野氏が築造しました。
どういうわけかこの池は大分県の心霊スポットとして知られています。名前が『赤、迫る』という何だか不吉な雰囲気を持っているからでしょうか?
今回、赤迫池に訪問しました。その様子と共に『何故、心霊スポットなのか?』を考察してみようかと思います。
それでは参りましょう!
赤迫池への行きかた
別府方面から国道10号線を進みます。途中で県道21号線に入りますが気にせず直進。
大分川を渡り加納西の信号を右折します。大分米良ICを越えた先の分岐を佐賀関、大分スポーツ公園(斜め左)へ。
しばらく道なりに進み新田入口の信号の少し先を左に下ります。
突き当りを臼杵方面へ。また突き当りがあるので左折すると右手に赤迫池があります。
赤迫池は入口にフェンスがあり車で入れません。ゴミの不法投棄が多いため閉ざされてしまったようです。
赤迫池について

様々な心霊スポットサイトを見ていると『池を築造する際に人柱をたてた。』から霊が出ると書かれていることが多いです。
その霊が訪れる人を誘って池に引きずり込んでいくというありがちなお話。

自殺スポットとしても有名らしいです。
自殺の名所と呼ばれるレベルの場所は少し調べると情報が出てきますので、自殺があったとしても数はそんなに多くないでしょう。
赤迫池の人柱伝説について

冒頭にお伝えしましたが、いつ誰が赤迫池を築造したのか記録が残っています。
昭和期の大分市報に書いてある情報なのでほぼ間違いないと思います。
恐らくは江戸時代の地史書に示されている情報なのでしょう。

奉行が独断で人柱をたてることは考えにくい。
住民からそんな案が出たら咎めるか藩に相談するでしょう。
奉行が報告しなかった、或いは藩が歴史を残さなかったという可能性もありますけれど。
もしかしたら築造中に死亡事故が発生したため殉職者を人柱としたのかもしれません。
でも、もしそうだとしたら何処かに石碑や祠があってもいいような気がします。


名前の由来の詳細はわかりません。『赤』を『血』のことだと説明しているサイトがありますが、わざわざそんな不吉な名前つける理由があるのだろうか?
これについては↓

丹が採れる産地を丹生と名付け丹生氏を名乗りました。
丹生の地名は各地に存在しています。丹が採れる地域にそれぞれ丹生氏が生まれたのか、それとも丹生氏が各地を渡り歩いて丹生の地名を与えたのかはわかりませんが、大分県丹川にもこのような歴史が存在します。
さて、本題。
赤は丹のことで間違いありません。では何故、丹を赤にしたのか?

赤には様々な意味がありますが、この場合『水』の意味なのではないかと私は思っています。
丹迫池でもいいけれど『縁起がよさそうだから赤にしようか?』みたいな感じかなと想像しています。
そして『迫』、これは小さい谷の意です。

といったものの単純に赤土(丹)が採れるから赤にした可能性もあります。『丹』も『あか』と読みますしね。
でも『だったら丹迫池でいいじゃん!』って感じだけど。
実際に『赤』の字を使った地名で上記のような意味を持つ場所があるのでここもそうなのかな?と思った次第です。
終わりに
赤迫池の名の由来について考察してみました。
真実はわかりませんが『赤=血』はちょっと無理があると思います。

もし、赤迫池について詳細を知っている方がいれば教えて頂けたら幸いです。
当ブログ内の心霊スポットランキングを作成しました。
興味がある方はご観覧下さい。なお、この記事は適宜更新いたします↓
おしまい!
1662年頃と云えば、島原の乱も終わって、戦いの無い平和な世の中になった後の事。
収穫を増やす目的?で作らたのかな~って推察しました。
農業用あるいは飲料水にも?だったりすると、
偽情報を流してでも、あんまり近づいて欲しくないとか。
400年近く地元に貢献したなら、”吉”ですよね。
上総さん
こんばんは!
“偽情報を流してでも、あんまり近づいて欲しくないとか。”
なるほど~。敢えて不吉な名前にした説ですね!考えてもみませんでした。
名前に由来って興味深いですよね!