大場啓仁事件と鑓水板木の杜緑地。5名の命が失われたこの事件についてざっくりと説明しようと思う

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鑓水板木の杜緑地

大変迷惑ですが、親子四人、この下の淵で投身自殺をしておりますので、お届け下さい

大場啓仁 遺書より

1973年(昭和48)9月6日午前4時頃。

静岡県賀茂郡南伊豆町池野原の海岸に4体の遺体が発見された。

東京在住の某大学助教授・大場啓仁とその家族は9月3日に下田のホテルに宿泊し、明くる日にチェックアウトしている。

夫婦は不倫問題からノイローゼ気味になっており、二人の挙動を訝しんだ妻の家族が『家出した静岡県下田にいる親子を探して欲しい。』と警察に捜索願を出した。

また、9月5日には妻から妻の姉宛に自殺を仄めかすような手紙が届いている。

捜索の願いを受けた碑文谷署は、早速静岡県の下田署に連絡を入れたが、時すでに遅し、親子は無残な姿で波に打ち寄せられていた。

夫婦の道ずれとなった二人の子供は、まだ4歳と6歳の幼子であった。

 

女学生の殺害と遺棄

鑓水板木の杜緑地

1974年(昭和49)2月28日午後2時頃、八王子市鑓水の野菜畑から女性の腐乱死体が警察の捜査によって発見された。

遺体は”く”の字に曲げられうつ伏せの状態で深さ約1mの土中に埋められていたと云う。

被害者は大場啓仁が助教授を勤める大学の生徒で、彼の不倫相手であった。

事の経緯は以下の通りである。

大場は結婚していたが、異性からの人気がそこそこあり、女たらしの噂が流れていた。

実際に被害者女性と長い間不倫状態にあって、妻もそれを知っていたようだ。

被害者女性は大場に『妊娠した』と結婚の解消を求め、また妻も不倫相手との関係を絶つように懇願していた。

このジレンマに苛まれた大場は逢引のため利用していた恩師の別荘に不倫相手を呼び出し首を絞めて殺害した後、別荘付近の荒地に穴を掘り隠蔽した。

その後、大場は何食わぬ顔で知人と食事をし『不倫問題を画期的な方法で解消した』などと殺人を仄めかす言を発していたが、やがて大学を巻き込む大騒動に発展したため、自首を決心する。

ところが直後、大場は妻子と共に消息を絶ち、静岡の海で一家心中を図った。

 

終わりに

鑓水板木の杜緑地

鑓水板木の杜緑地が被害者女性の遺体発見現場だと云われている。

当時の新聞に現場の簡易地図が書かれていたので過去、現在の空中写真と照らし合わせて確認してみたけれども、余りに簡易な地図であったため、ハッキリとした地点は分からなかった。

世間の注目を浴びた事件故に心霊の噂が風聞されているのであろう。

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