横浜の土木遺産!打越橋の歴史と橋脚にある地蔵尊の由来について

打越橋

牛島坂より眺める朱色の映えるアーチ陸橋。

打越橋は関東大震災の復興事業の一環で架けられた。竣工年は1928年(昭和3)8月9日。

関東大震災の被害により繁華街の近くにあった牛島山へ避難した人々が、そのまま定住したため横浜市は交通整備をする必要に迫られた。

牛島山を切り拓き道路と路面電車を敷設、そして切通しの上部を繋ぐ打越橋を架橋した。

 

打越橋の場所

打越橋

最寄り駅はJR石川町駅。徒歩10分程の距離にある。

南口から出て山下公園や中華街とは逆方向に中村川沿いを進む。車橋南の交差点を左折して進むと切通しの先に打越橋が見えてくる。

桜木町駅前~保土ヶ谷駅東口を行き来するバスが打越橋の直近に停まるのでこちらも選択肢に入れていいかもしれない。ただ運行本数が少ないので利用するなら事前に調べておいた方がよいだろう。

 

打越橋と心霊の噂

打越橋

すべて重荷を負うて苦労している者はわたしのもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう

イエス.キリストは云われた

横浜市中區山手町○○○
共立聖書學院

上記は橋の欄干に提示されているプレートからの引用である。

共立聖書学院は横浜にあった共立女子聖書学院の事だろうか?

もしそうであれば、

1881年(明治14)、横浜市に偕成伝道女学校が創建

1907年(明治40)、偕成伝道女学校から共立女子聖書学院に改称

1940年(昭和15)、日本基督教女子神学専門学校に合併されて東京に移動

打越橋の竣工は1928年(昭和3)なので時期は被る。

共立女子聖書学院が横浜にあった時代に学院内の誰かが設置したのだと思われる。文章の内容からして身投げがあったのかもしれない。今で言う『命の看板』みたいなものだろう。

いちのまる
いちのまる

学校の生徒さんだったのかもしれませんね。

転落防止用のフェンスが欄干に後付けされているのも気になるところだ。

自殺の情報は公開されない場合が多いのでここでどれほど投身自殺があったのかはわからない。

Twitterで『およそ30年間、打越橋では自殺未遂1件を記憶しているけれど、自殺を遂げた人はいない。自殺の名所とか大嘘を付くのは止めて欲しい。』というような投稿を見かけた。

自殺を匂わせるプレートがあるので『過去に自殺があったのはほぼ間違いないだろうが、自殺の名所と呼ばれるほどではない。』と言うのが私の結論である。

 

打越橋

橋脚の脇に可愛らしい地蔵尊が祀られている。

オカルト界隈では『自殺者の霊を慰めるために安置された地蔵云々…。』と紹介されることが多いのだけれども、根拠を調べもしないで真実かのように語る悪い奴がいるものだ。

地蔵尊の当初の目的はゴミ捨て防止である。

1980年(昭和55)くらいに打越橋の近くに住んでいた男性がゴミが余りに散らかっているのを憂いて一番酷い箇所に地蔵尊を拵えた。すると次第にゴミを捨てていく人が居なくなったと云う。

いちのまる
いちのまる

一策を講じたわけだ!

『2020年(令和2)7月31日・朝日新聞/東京地方版/神奈川』に打越橋の地蔵尊の由来に関する記事が載っているので、気になる方は図書館やデータベースサービスで検索してみるといいだろう。

 

終わりに

打越橋

打越橋の高さは12.47m。

確実にさよなら出来る高さではない気がする。

中途半端な高さから飛び降りると後遺症を負ったり、無駄に苦しんで死ぬ羽目になる。

という意味でもここを最後の地として選ぶ人間は極めて少ないのではないだろうか?

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