東海地方

静岡県

大学研修施設の廃墟・伊豆大川セミナーハウス【静岡】

静岡県賀茂郡東伊豆町にある廃墟・伊豆大川セミナーハウス。日本大学八十年記念館所蔵資料目録に『昭和四一年(一九六六)一一月九日 伊豆大川セミナー・ハウス竣工(静岡県東伊豆町)』の表記あり。建物の遠望写真も貼付されている。
愛知県

名古屋城とその歴史について【愛知】

名古屋城築城には多くの大名が関わっています。天守石垣を担当した加藤清正を始め、福島正則、黒田長政、池田輝政、細川忠興etc……。これは対豊臣秀頼を想定しての天下普請(幕府が大名に命じた土木工事)でしたが、外様大名の競争心を煽って忠誠心を確かめるため、また彼らの勢力拡大の阻止を狙った政策だったようです。
静岡県

伊豆半島の最南端にある石廊埼灯台から【静岡】

伊豆半島の最南端に位置する石廊崎灯台から眺める海。岬の名称は石廊崎。灯台は石廊埼。この違いの原因は旧日本軍にありそうです。海に突き出た陸地の先端部を海軍が作成した海図では『埼』、陸軍が作成した陸図では『崎』としました。灯台は海軍の管轄だったということですね。
静岡県

伊豆七不思議のひとつ『石廊権現と千石船』と熊野神社の縁結びの由来【静岡】

伊豆半島の最南端にある石室神社。石室権現とも呼ばれています。石室神社から数十メートル先の海に突き出た場所にある熊野神社。熊野神社は縁結びのご利益があると信じられています。
静岡県

伊豆半島の東伊豆町隔離病舎跡へ訪問【静岡】

ネットで過去の写真を確認すると渡り廊下や別棟が存在したようだ。残骸は確認出来たが、潰れてなくなっていた。残っている棟もこの有様なので、そのうち倒壊してしまうのだろう。完全に崩壊する前に現物を見れて、私は幸せである。
静岡県

廃墟・下田富士屋ホテルを眺める【静岡】

2023年(令和5)1月22日の午前4時頃、下田富士屋ホテルから出火。建物は半焼してしまったが、けが人は出ていない。テレビニュースや新聞、SNSで『ホテルが火事になった。ここは心霊スポットとして知られる場所だった。』と情報が拡散されている。
静岡県

城ヶ崎海岸に伝わる『半四郎落し物語』と心霊のうわさ【静岡】

半四郎とおよしという仲の良い夫婦がいたそうな。ある日、半四郎は海へ海藻を採りに出掛けました。たくさんの海藻を背負い家に帰ろうとした瞬間、背中の海藻に引かれ海に落ち帰らぬ人となってしまいました。
静岡県

過激派の部屋で有名な下田御苑ホテルを外から眺める【静岡】

国道135号線沿いに残る下田御苑ホテル跡。あまり情報のない廃墟。開業年、閉業年は定かでない。現在も営業している下田聚楽ホテルの過去のパンフレットに姉妹館として下田御苑ホテルの概要が書かれている。
静岡県

温泉へ続く遊歩道沿いの廃墟・ホテル浜山へ【静岡】

基本的に立入禁止で廃墟そのものが見れない場合が多いのと、心霊スポットとしての根拠に乏しい廃墟が殆どだからだ。ホテル浜山も『どうせ立入禁止で物件を見ることは叶わないだろうな…。』と思いつつ赴いたが、そんなことはなかった。
静岡県

稲取観光ホテル・エメラルド七島に関する情報【静岡】

全ての部屋から太平洋を一望することが出来た。2階には陶器の風呂と檜風呂、7・8階には露天風呂付きの展望大浴場が備え付けられていた。お湯は約80度の塩化物泉と約32度の単純泉をブレンドしたものを適温にしてかけ流していた。
静岡県

河津三郎祐泰の血塚と曾我兄弟の仇討ち【静岡】

河津祐泰は剛腕の武将として知られている。というのも曽我物語で相撲大会の場面があるのだが、それまで負けなしだった俣野景久を投げ飛ばしたからだ。相撲の『決まり手八十二手』の河津掛けは彼の名前が由来とする説がある。まぁ、この説はかなり疑問視されているらしいが。
静岡県

石廊崎の愛逢岬へ。愛に狂わされた家族の最期【静岡】

不倫相手を殺害した男が家族を道ずれに投身したのが愛逢岬(石廊崎)であった。奥石廊崎展望台から岩場下へ向かう遊歩道に『親子4人で心中したので、ご迷惑ですがお届けよろしくお願いします。』という趣旨の遺書が置かれ、下の海岸に4人の水死体が打ち寄せられていた。
愛知県

桶狭間古戦場とお化け地蔵の曰くについて

今川義元の侵攻目的は『上洛説』『尾張平定説』『国境の安定化』などの説がある。昔は『上洛説』が定説かのように語られていたが、近頃はその可能性は低いと云われている。義元が信長に敗れた経緯も様々な説があるようだ。情報戦に勝利した奇襲説が一般的であるけれども、信長公記では正面から攻撃をしているような描写が為されている。
愛知県

国宝・犬山城を歩く!その歴史を景色と共に振り返る【愛知】

犬山城は織田信長の叔父・織田信康が築城しました。信長の父・信秀が美濃の斎藤道三を攻めた際、従軍した織田信康は討ち死にしてしまいます。信康の息子、織田信清が犬山城に入城。信長の代になると最初こそ従っていた信清ですが、次第に険悪になり対立。信清は信長に敗北し甲斐へ逃亡。信長家臣の池田恒興などが犬山城に配属されています。
岐阜県

悲劇の城・帰雲城とは?あまりに虚しすぎる最後に絶句した【岐阜】

世界遺産の『白川郷・五箇山の合掌造り集落』で有名な岐阜県大野郡白川村に悲運の城がある。流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰るという。対岸の帰雲山の麓にあったことから帰雲城と名付けられた。詩的な響きを持つ美しい名前ですね。さて、ここで何があったのか?帰雲城の悲しすぎる最後を紹介しよう。
岐阜県

金華山にまるわる怖い噂について調べてみた【岐阜】

織田信長による稲葉山城攻めのワンシーンである。この戦いで稲葉山城を攻略した信長は、小牧山城から当城に本拠を移し、城及び地名を岐阜と改めた。稲葉山は現在、金華山と呼ばれ岐阜市のシンボル的な存在となっている。由緒ある岐阜城が建つ金華山に何故だろうか?不吉な噂が囁かれていると云う。一体何があったのか?