古戦場

栃木県

関東七名城の一つ唐沢山城へ!心霊の根拠は古戦場だからだろうか?

関東七名城の一つ、唐沢山城へ。唐沢山城の築城時期ははっきりしていない。『しんれい新聞』は心霊スポットを扱うサイトであるから、それについても触れなければならない。
神奈川県

鎌倉の文化財・泣塔の由来は?とある合戦に関わる供養塔らしいが…。

泣塔は鎌倉攻めの戦死者を弔うための二十三回忌法要で建立された宝篋印塔だとされている。宝篋印塔の背後にはやぐらがあり数基の五輪塔も納められているそうだ。塔を青蓮寺に移動したところ、すすり泣く声が聞こえたため、元の場所に戻したことに由来すると云われる。泣塔の周辺は悉く開発されているが、この小丘だけ残存している。
神奈川県

源氏旗揚げの地!源氏山公園に刑場跡だったという噂があるようだけれども…。実際は?

歴史的な土地柄からか鎌倉市には多くの心霊スポットが点在している。源氏山にも落ち武者や自殺者の幽霊が出ると噂があるようだ。日野俊基は元弘の乱の初期(元弘の変)に討幕計画の疑いをかけられ捕縛された後、化粧坂上の葛原ヶ岡で処刑された。
神奈川県

由比ガ浜に幽霊の噂?約4000体の人骨が発掘された曰く付きの海岸はどんなとこ?

鎌倉時代中頃の由比ガ浜周辺には集団墓地があったと判明。凡そ4000体の人骨が埋もれていたのである。静御前の悲痛がひしひしと伝わってくる名場面である。源義経の赤子が兄・頼朝の命令によって由比ガ浜に打ち捨てられた。敗北した和田義盛の一党は処々で討ち取られ、その首は由比ガ浜に集められ首実検が行われた。
千葉県

むかし処刑場があったの?流山市役所の裏手にある飛地山の歴史について調べたので紹介しよう!

曰く付きの山を求めて訪れた先はフェンスで囲まれた見事なまでに広々とした更地だった。木々の茂る薄暗い小丘が存在したはずだが、今いずこ。下調べをしない悪い癖の出た衝動的な旅になってしまった。流山市役所の南に位置するこの場所は飛地山と呼ばれる。その曰くから『血』の字が当てられ飛血山と称される事もあるようだ。
千葉県

里見公園の衝撃的な過去を調査!古戦場でもあり怪奇伝説も残る、更には殺人事件の現場でもあった…。

私は読んでいないのだが、水上勉の推理小説『巣の絵』で里見公園が殺人事件の舞台となっているようだ。調査する前は『この小説が心霊スポットの噂の原因になったのだろう』と考えていたけれども、まさか本当に殺人事件が起きた現場だったとは思いも寄らなかった。それに加え戦国期の古戦場跡と来たものだから根拠は十分過ぎる程である。
愛知県

織田信長vs今川義元!桶狭間古戦場伝説地とお化け地蔵の曰くについて

今川義元の侵攻目的は『上洛説』『尾張平定説』『国境の安定化』などの説がある。昔は『上洛説』が定説かのように語られていたが、近頃はその可能性は低いと云われている。義元が信長に敗れた経緯も様々な説があるようだ。情報戦に勝利した奇襲説が一般的であるけれども、信長公記では正面から攻撃をしているような描写が為されている。
長崎県

日本最大級の内乱、島原・天草の乱と激戦の地、原城の歴史を振り返る

原城は1637年に勃発した島原・天草の乱で一揆勢が籠城し、幕府軍と死闘を繰り広げた場所である。一揆勢は敗戦後に老若男女問わず惨殺され、この地に無造作に埋められた。発掘調査でキリシタン関連の遺物や陶磁器、武器、そして人骨などが確認されている。原城の歴史、島原・天草の乱について簡単に紹介しようと思う。
岐阜県

岐阜城を頂におく金華山に纏わる怖い噂について調べてみた

織田信長による稲葉山城攻めのワンシーンである。この戦いで稲葉山城を攻略した信長は、小牧山城から当城に本拠を移し、城及び地名を岐阜と改めた。稲葉山は現在、金華山と呼ばれ岐阜市のシンボル的な存在となっている。由緒ある岐阜城が建つ金華山に何故だろうか?不吉な噂が囁かれていると云う。一体何があったのか?
埼玉県

『のぼうの城』の舞台として知られる忍城へ!ここって本当に幽霊出るの?

忍城は和田竜の歴史小説『のぼうの城』の舞台になったことで一躍有名になった城である。この小説は2012年(平成24)に映画化されており人気を博した。第36回日本アカデミー賞で多くの優秀賞を受賞している。忍城を心霊スポットとして紹介するサイトがあった。何か根拠はあるのか?
群馬県

上州の黄斑こと長野業正が死守した箕輪城へ!武田信玄との壮絶な戦いの末に…。

長野氏は平城天皇の第一皇子・阿保親王の五男・在原業平の後裔と伝わるが、伝説の域を出ない。箕輪城の築城者は長野尚業、或いは憲業(信業)とも云われている。戦国時代には西上野を狙う武田信玄と箕輪城主、長野業正が激しい戦いを繰り返した。今回は『箕輪城の歴史』と『上州の黄斑こと長野業正』を簡単に紹介する。
島根県

津和野城に怖い噂?!一体何があったのか?その歴史を振り返る

 島根県にある津和野城。『元寇の来襲に備えろ!』という鎌倉幕府の命を受けた吉見頼行が築城した山城である。ここはどうやら心霊スポットとして知られているようだ。城の歴史を軽くさらってみたが、残念ながらその根拠は判明しなかった。では、津和野城の歴史を振り返っていこう。
兵庫県

三木の干殺しとは?三木城が曰く付きの場所と噂される理由について

兵庫県三木市の三木城跡に訪れた。戦国時代、羽柴秀吉は三木城を兵糧攻めにて攻略した。余りに凄惨な戦いだったため三木の干殺しと名付けられ、現在まで語り継がれている。故に曰く付きの場所、所謂心霊スポットとして紹介されることもある。では、三木城の歴史を詳しく見て行こう。
熊本県

心霊スポットと噂される娑婆神峠!響ヶ原の戦いと西南戦争が原因か?

娑婆神峠が心霊スポットと言われる根拠は古戦場だからではないだろうか?古戦場はどうしても性質上心霊スポットのネタにされることが多い。戦争は歴史を学ぶ上で外す事の出来ない事柄である。ただ怖がるだけでなく、その背後に何があるのかを考えてみると意外な発見があるかもしれない。
熊本県

西南戦争の古戦場・吉次峠について。心霊スポットと言われているが…。

熊本にある吉次峠は心霊スポットとして知られている。『きちじ』と読む。理由はここが古戦場だからである。1877年(明治10)、西南戦争が発生。西郷隆盛らは鹿児島から北上し官軍が守る熊本城を目指した。熊本城に辿り着いた西郷軍は城を包囲。写真は吉次峠から眺める田原坂方面。戦場だったとは思えない長閑な農村風景が広がっている。
福岡県

元寇にまつわる石碑・蒙古軍供養塔(蒙古塚)について。心霊スポットとして知られているけど理由は察して

福岡県の志賀島にある蒙古塚。古くは首切塚というおどろおどろしい名で呼ばれていました。心霊スポットとして知られているこの場所で何があったのか?元寇とは?鎌倉時代中期、モンゴル帝国が2度に亘って日本を侵攻しました。これを元寇といいます。1274年の戦いを文永の役、1281年の戦いを弘安の役と呼びます。
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