古戦場

神奈川県

由比ガ浜から発掘された約4000体の人骨について【神奈川】

鎌倉時代中頃の由比ガ浜周辺には集団墓地があったと判明。凡そ4000体の人骨が埋もれていたのである。静御前の悲痛がひしひしと伝わってくる名場面である。源義経の赤子が兄・頼朝の命令によって由比ガ浜に打ち捨てられた。敗北した和田義盛の一党は処々で討ち取られ、その首は由比ガ浜に集められ首実検が行われた。
千葉県

里見公園の衝撃的な過去について【千葉】

私は読んでいないのだが、水上勉の推理小説『巣の絵』で里見公園が殺人事件の舞台となっているようだ。調査する前は『この小説が心霊スポットの噂の原因になったのだろう』と考えていたけれども、まさか本当に殺人事件が起きた現場だったとは思いも寄らなかった。それに加え戦国期の古戦場跡と来たものだから根拠は十分過ぎる程である。
愛知県

桶狭間古戦場とお化け地蔵の曰くについて【愛知】

今川義元の侵攻目的は『上洛説』『尾張平定説』『国境の安定化』などの説がある。昔は『上洛説』が定説かのように語られていたが、近頃はその可能性は低いと云われている。義元が信長に敗れた経緯も様々な説があるようだ。情報戦に勝利した奇襲説が一般的であるけれども、信長公記では正面から攻撃をしているような描写が為されている。
長崎県

島原・天草の乱の激戦地・原城の歴史を振り返る【長崎】

原城は1637年に勃発した島原・天草の乱で一揆勢が籠城し、幕府軍と死闘を繰り広げた場所である。一揆勢は敗戦後に老若男女問わず惨殺され、この地に無造作に埋められた。発掘調査でキリシタン関連の遺物や陶磁器、武器、そして人骨などが確認されている。原城の歴史、島原・天草の乱について簡単に紹介しようと思う。
岐阜県

金華山にまるわる怖い噂について調べてみた【岐阜】

織田信長による稲葉山城攻めのワンシーンである。この戦いで稲葉山城を攻略した信長は、小牧山城から当城に本拠を移し、城及び地名を岐阜と改めた。稲葉山は現在、金華山と呼ばれ岐阜市のシンボル的な存在となっている。由緒ある岐阜城が建つ金華山に何故だろうか?不吉な噂が囁かれていると云う。一体何があったのか?
埼玉県

『のぼうの城』の舞台として知られる忍城へ【埼玉】

忍城は和田竜の歴史小説『のぼうの城』の舞台になったことで一躍有名になった城である。この小説は2012年(平成24)に映画化されており人気を博した。第36回日本アカデミー賞で多くの優秀賞を受賞している。忍城を心霊スポットとして紹介するサイトがあった。何か根拠はあるのか?
群馬県

上州の黄斑こと長野業正が死守した箕輪城へ【群馬】

長野氏は平城天皇の第一皇子・阿保親王の五男・在原業平の後裔と伝わるが、伝説の域を出ない。箕輪城の築城者は長野尚業、或いは憲業(信業)とも云われている。戦国時代には西上野を狙う武田信玄と箕輪城主、長野業正が激しい戦いを繰り返した。今回は『箕輪城の歴史』と『上州の黄斑こと長野業正』を簡単に紹介する。
島根県

津和野城に心霊スポットのうわさ?!その歴史を振り返る【島根】

 島根県にある津和野城。『元寇の来襲に備えろ!』という鎌倉幕府の命を受けた吉見頼行が築城した山城である。ここはどうやら心霊スポットとして知られているようだ。城の歴史を軽くさらってみたが、残念ながらその根拠は判明しなかった。では、津和野城の歴史を振り返っていこう。
兵庫県

三木の干殺しとは?三木城の歴史について【兵庫】

兵庫県三木市の三木城跡に訪れた。戦国時代、羽柴秀吉は三木城を兵糧攻めにて攻略した。余りに凄惨な戦いだったため三木の干殺しと名付けられ、現在まで語り継がれている。故に曰く付きの場所、所謂心霊スポットとして紹介されることもある。では、三木城の歴史を詳しく見て行こう。
香川県

讃岐国の十河城へ!鬼十河・一存の活躍と十河存保の最後【香川】

香川県高松市の南部にある十河城へ行ってきました。城跡には称念寺が建っていて十河城の主郭部分に当たります。これで『そごう』と読みます。築城時期はわかっていませんが、城跡の案内板によると『南北朝時代からの十河氏の居城だった。』とあります。
島根県

月山富田城と城主の尼子経久・晴久について【島根】

島根県安来市広瀬町にある富田城跡。月山にあることから月山富田城、月山城とも呼ばれています。戦国時代には山陰の雄・尼子氏が居城とし大内義隆や毛利元就などの強豪たちと争いました。月山富田城は難攻不落の山城として知られています。
佐賀県

江藤新平と佐賀の乱について【佐賀】

江藤新平は幕末から明治初期に活躍した佐賀県出身の政治家で、『佐賀の七賢人』、明治政府に貢献した『維新の十傑』の一人に選ばれています。征韓論を巡る政争の結果起きたとされる明治六年政変で下野したのち、佐賀県に帰省し佐賀の乱のリーダーの一人として新政府軍と戦いますが、新政府軍に敗北し捕縛され獄門に処されてしまいます。
熊本県

娑婆神峠と響ヶ原の戦い&西南戦争の関係【熊本】

娑婆神峠が心霊スポットと言われる根拠は古戦場だからではないだろうか?古戦場はどうしても性質上心霊スポットのネタにされることが多い。戦争は歴史を学ぶ上で外す事の出来ない事柄である。ただ怖がるだけでなく、その背後に何があるのかを考えてみると意外な発見があるかもしれない。
熊本県

古戦場・吉次峠について。心霊スポットのうわさがあるが……【熊本】

熊本にある吉次峠は心霊スポットとして知られている。『きちじ』と読む。理由はここが古戦場だからである。1877年(明治10)、西南戦争が発生。西郷隆盛らは鹿児島から北上し官軍が守る熊本城を目指した。熊本城に辿り着いた西郷軍は城を包囲。写真は吉次峠から眺める田原坂方面。戦場だったとは思えない長閑な農村風景が広がっている。
鳥取県

鳥取城を攻めるため秀吉が敷いた太閤ヶ平へ【鳥取】

太閤ヶ平(たいこうがなる)は羽柴秀吉が鳥取城を攻略するため陣を敷いた場所です。土塁や空堀で囲まれた本陣跡が残存し【鳥取城跡附太閤ヶ平】という名で国の史跡に指定されています。あまりにも立派な陣跡なので、秀吉が信長を招き入れるために陣を敷いたという説があるそうです。
鳥取県

鳥取の飢え殺しとは?鳥取城に幽霊が出ると言われる根拠【鳥取】

鳥取城は因幡国の守護・山名氏が久松山に築いた山城です。あなたは鳥取城の飢え殺し(かつえごろし)を知っているだろうか?この城は曰くつきの場所、今で言う心霊スポットとして知られています。飢え殺し…。鳥取城の歴史をご存知ない方でも、何が起きたか想像出来ますね。それでは、その歴史を振り返ってみましょう。