親鸞聖人に縁があると伝わる与沢の経塚へ!幽霊はもういないらしいけれど…。

与沢の経塚

小川町指定 史跡 経塚

所在地 小川町与沢□△番地

管理者 長島 □△

今から六〇〇年の昔、一男一女を残して難産で死亡した、長島喜八の妻が毎夜霊となって、夫喜八の枕辺に現われ、子の養育をしきりに訴えるので、喜八は真鸞(ママ)聖人往来の時聖人に御化導をお願いした。
聖人は浄土三部妙典を小石に書き写して塚に埋めさせた。それ以後は霊は現われなくなったという。

小川町教育委員会

現地案内板より引用

親鸞聖人が常陸国(茨城県)で布教活動をしたのは1200年代前半から中盤にかけてなので、上記引用文は江戸時代末頃に書かれたものだろうか。

管理者の長島さんは文中の長島喜八の子孫だと思われる。

経塚から東に500m程の距離にある喜八阿弥陀堂は親鸞に心酔した喜八が建立した御堂と伝わる。また長島家には親鸞が直筆したと云う阿弥陀如来、聖徳太子、善導大師の三幅対絵画が残されている。これらの絵画は県指定文化財に認められているのだが、茨城県教育委員会のHPによると室町時代作とあるので、公的には親鸞の直筆とは認められていない。

いちのまる
いちのまる

本当に親鸞聖人が書いた絵画だと判明したら国宝級です。親鸞聖人は実在さえも疑問視されていた過去がありますからね。きっと後世になって創作されたのでしょう。

 

終わりに

与沢の経塚

数年前までは塚の目印となる桜の老木があったそうだが、枯れてしまった。

ネットで心霊スポットとして紹介されていたので赴いたけれど、現地案内板には『それ以後は霊は現われなくなったという。』と書かれている。

長島喜八の妻の霊はとっくの昔に成仏してもうここにはいないはずである。悲しい伝説が残るが故に都合の良い文章だけを切り取って心霊の噂が流されたのではないだろうか。

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