熊本県

菊鹿シリーズで有名な熊本ワインへ【熊本】

熊本ワイン株式会社は鹿児島県を本拠地とする本坊酒造と南九州コカ・コーラボトリング株式会社が共同出資して1999年(平成11)に設立されたワイン醸造所です。契約農家からぶどうを買い取り良質なワインを造り続けています。特に菊鹿町で栽培されるぶどうから醸造される菊鹿シリーズは引手数多で入手が困難なことで有名です。
東京都

八王子城と御主殿の滝について【東京】

東京都の心霊スポットの中で群を抜いて恐悪度が高いとされる八王子城跡。一体ここで過去になにがあったのか?まずは八王子城の歴史から簡単に述べ、さらに城跡の中で特に何処が心霊スポットとして有名なのかを紹介したいと思います。
東京都

増上寺の歴史と徳川将軍家墓所の謎【東京】

芝大門にある増上寺は小田原征伐後に関東へ入部した徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗の寺院です。境内に徳川将軍家墓所があるのですが、何故か15代将軍全員のお墓はありません。ということで今回は増上寺の歴史と菩提寺なのに将軍全員の墓がない理由について見ていくことにしましょう。
東京都

小塚原刑場跡と首切り地蔵について【東京】

日光街道の小塚原刑場。東海道の鈴ヶ森刑場、甲州街道の大和田刑場。これら三箇所は江戸三大処刑場と呼ばれ怖れられていました。鈴ヶ森刑場跡については【斬って磔、燃やされる鈴ヶ森刑場 編】で紹介しています。そして今回は荒川区南千住駅近くにある小塚原刑場跡へ。
東京都

吉田松陰が祀られる世田谷の松陰神社へ参拝【東京】

御祭神は吉田松陰。1858年(安政5)から1859年(安政6)の安政の大獄で刑死した吉田松陰を門下生であった高杉晋作や伊藤博文等が世田谷区若林に改葬し、1882年(明治15)に門下生達が改葬先の近くに社を築いたことから松陰神社の歴史が始まりました。
東京都

吉田松陰最期の地、伝馬町牢屋敷跡へ【東京】

伝馬町牢屋敷は江戸時代前半から明治8年まで存在した牢獄です。 約2.4mの塀で囲まれ、身分の高い武士や僧侶に揚座敷、武士と僧侶や女性は揚屋(女性は女牢とも呼ばれる)、平民に大牢、百姓には百姓牢といった具合に身分によって牢舎がわけられていました。 行われた処刑は切腹と斬首でした。
東京都

豪徳寺にある井伊直弼の墓と招き猫物語について【東京】

とある武士が鷹狩りを終えたあと老朽化した寺の前を通りました。すると寺の中から手を招いている猫を見つけます。『不思議なこともあるもんだ?』と興味を示し、誘われるように寺の中へ。ここで休憩していこうと腰を下ろしたとたん、激しい雷雨が降ってきたので、武士は寺の住職と対話をして時間を潰しました。
東京都

平将門の首塚は、なぜ最恐心霊スポットと呼ばれるのか?【東京】

平将門の首塚は恐らく日本で一番といっても過言ではない有名な心霊スポット。日本三大怨霊のひとつとしても有名で呪われると噂されている曰くつきの場所なのです。ここに建物を建てようとすると祟りが起きて関係者が不幸に見舞われるなんて話がありますね。危険と名高い心霊スポットの記事です。閲覧して呪われてもしりません。
東京都

勝率.962の怪物!最強力士・雷電為右衛門の墓【東京】

雷電為右衛門は勝率.962の現在まで語り継がれる相撲取りです。身長6尺5寸(約197㎝)、体重45貫(約169㎏)という現代でも通用するレベルの巨漢であったと云われています。また筆まめで教養のある人物だったことでも知られており、自身の成績や巡業について書いた諸国相撲控帳や松江藩相撲頭取になってからの仕事内容を記載した萬御用覚帳などが残されています。
東京都

江戸三大処刑場のひとつ、鈴ヶ森刑場へ【東京】

鈴ヶ森刑場は1651年に設けられ1871年に閉鎖された仕置場(処刑場)です。現在は国道15号線沿いの大経寺境内に小さな公園のような形で残っています。多くの人間が無残な最期を迎えた場所なので、心霊スポットとして有名です。10万人、或いは20万人の罪人が処刑されたと言われています。
栃木県

足尾町の最奥にあった旧松木村へ【栃木】

足尾の奥地にある三川合流ダム。正式には足尾砂防堰堤というらしい。ここから松木川を遡っていくと明治時代後期まで存在した松木村の跡地があります。今回は画像メインの投稿です。
栃木県

華厳の滝と藤村操と巌頭之感【栃木】

藤村操は明治19年に誕生し、明治36年にここ華厳の滝にて自殺した人物です。所謂エリートで国の発展を担う若者を育てるために建てられた第一高等学校に入学しました。生きていたならば国の中枢を動かす仕事をしていたかもしれません。陰々滅々な性格ではなく快活で人間関係は円滑で温良な性格だったといわれています。
群馬県

田島弥平旧宅が世界遺産に選ばれた理由【群馬】

田島弥平旧宅は世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』のうちの一つです。群馬県では古くから養蚕が行われていました。始めは自給生産に留まっていましたが、江戸時代になると幕府が養蚕業を奨励したため生糸の需要が高まり、多くの農民が養蚕業へ関心を持ち始めます。そして技術の発展に伴い上質な絹が作られるようになりました。
群馬県

土合駅はなぜ日本一モグラ駅と呼ばれているのか?【群馬】

関東の駅百選に選ばれる日本一のモグラな土合駅へ行ってきました。土合駅はJR東日本上越線の無人駅で下りホームが新清水トンネル内にあります。ここは心霊スポットとしても有名なので何故そうなったのかを文末で簡単にまとめてみました。それではどんな場所なのか見てみましょう!
群馬県

碓氷峠と心霊スポットで有名な旧熊ノ平駅に行ってきた【群馬】

碓氷峠の見どころといえば、秋季の紅葉観賞であろう。碓氷バイパスの開通で交通量がめっきり減った碓氷峠だが、紅葉期はそれなりに混雑する。外にも碓氷峠には歴史的遺構、溢れる自然、ドライブスポットなど、様々な魅力がある。また峠にある旧熊ノ平駅は心霊スポットの中でも取り分け著名なので、併せて紹介しようと思う。
群馬県

世界遺産、荒船風穴ってどんなとこ?【群馬】

2014年(平成26)に群馬県の『富岡製糸場と絹産業遺産群』が世界文化遺産に登録されました。富岡製糸場は有名ですが、絹産業遺産群の内容についてはあまり知られていないのではないでしょうか?藤岡市の高山社跡、伊勢崎市の田島弥平旧宅、そして荒船風穴。これら3か所も歴とした世界文化遺産の一部なのです。