いちのまる

山梨県

花魁淵、戦国の悲劇による心霊スポット【山梨】

柳沢川に宴台をつくりその上で舞わせた。舞の最中、宴台を吊っていた藤づるを切って宴台もろとも渕へ沈めたことから『おいらん渕』の伝説が生れた。
東京都

武蔵野の森公園に兵隊の幽霊がでる?!【東京】

伊豆諸島への玄関口となる調布飛行場を囲うような立地に位置する。公園北側には掩体壕と呼ばれる戦争史跡が残されており軍事施設として利用された過去を呼び起こす。掩体壕とは?
埼玉県

YouTuberの紹介で有名になった薬師堂のマキ【埼玉】

2019年(平成31)にとある有名Youtuberグループが薬師堂のマキを心霊スポットとして紹介したことにより一気に有名になった。心霊スポットを扱う有名どころのサイトを幾つか確認してみたが、やはり2019年(平成31)以降に情報を公開している。
茨城県

霞ヶ浦分院と鹿島海軍航空隊基地について【茨城】

霞ヶ浦分院の前身は鹿島海軍航空隊基地で、司令本部庁舎、兵舎跡、ボイラー、発電機棟などの遺構が残る。鹿島海軍航空隊は1938年(昭和13)に発足。終戦の1945年(昭和20)に解隊した。霞ヶ浦の地の利を活かした水上機の訓練が行われていたと云う。
神奈川県

畠山重忠の首塚へ!彼の最期と吾妻鏡【神奈川】

畠山重忠の首塚には幽霊が出ると云う。ここが古戦場だからだろうか。それとも重忠の無念の死に由来するものだろうか。古戦場が理由であるならば特に異論はないのだが、重忠の怨みが云々と言われると何だか釈然としない。
山梨県

腹切地蔵尊の由来。安田義定と吾妻鏡【山梨】

吾妻鏡を読むと安田義定の性格や能力に問題があったように読み取れなくもないが、これは鎌倉幕府の人間が編纂した書物だから偏見が入っている可能性もある。といってもこれ以上に安田義定についての記述がある書物はないだろうから頼らざるを得ないのだけれども。
神奈川県

源頼朝が隠れ潜んだとされる『しとどの窟』へ【神奈川】

伊豆国で挙兵した源頼朝が石橋山の戦いで平氏方に敗れて潜んだとされる"或巖窟"。現在、その"或巖窟"は『しとどの窟』と呼ばれている。『しとど』はホオジロ科の小鳥の古名を指す。
東京都

東京競馬場の怪異?魔の第3コーナーと井田是政墓について【東京】

東京競馬場の第3コーナーから第4コーナーの間にある井田是政の墓である。赤丸で囲っている場所が井田是政の墓で、墓の辺りは通称・大ケヤキと呼ばれている。井田是政の先祖とされる畠山重忠については彼の首塚に訪れたので後日紹介しようかと思う。
埼玉県

新三郷トンネルの心霊のうわさ【埼玉】

この場所には武蔵野操車場という大規模な操車場があったそうだ。トンネルの上部に墓地があったという噂がある。1955年(昭和30)の航空写真を見る限り高富ガードの位置は田畑が広がるばかりで墓地があった形跡はない。
茨城県

バイパス下の謎トンネル!塔ヶ崎隧道へ【茨城】

あまりにも古い航空写真なので参考にはならないかもしれないが、この道が昭和末期まで残っていたためトンネルを設置した可能性がある。やがて利用する住民が減っていき、いつしか廃道&廃トンネルになってしまったのではなかろうか。
山梨県

首地蔵の悲しい伝承について【山梨】

首地蔵には悲しい伝承が残る。どうせなので現地にあった案内板を引用しよう。ここは心霊スポットとして知られている。これほどに霊の根拠がはっきりしていると清々しい。
東京都

本宿トンネルの心霊のうわさと延文五年の板碑について【東京】

本宿トンネルは上部に墓地があったため幽霊が出ると云われている。航空写真を眺めて確認してみたものの、トンネル着工前に墓地があったかどうかまでは分からなかった。発掘や掘削の際に人骨が出ているという話でもあるのだろうか?
埼玉県

人体実験が行われたというダイアナ研究所へ【埼玉】

人体実験が行われていたなどという、まことしやかな噂が流れている。それ故か心霊スポットとしても知られるようになり、招かざる客が押し寄せるようになった。結論から申し上げると噂されているような曰く付きの施設ではない。
茨城県

与沢の経塚と親鸞聖人【茨城】

親鸞聖人が常陸国(茨城県)で布教活動をしたのは1200年代前半から中盤にかけてなので、上記引用文は江戸時代末頃に書かれたものだろうか。ネットで心霊スポットとして紹介されていたので赴いたが現地案内板には『それ以後は霊は現われなくなったという。』と書かれている。
神奈川県

横浜ベイブリッジが心霊スポット?【神奈川】

横浜ベイブリッジの開通は1989年(平成1)。それなりに飛び降りる人がいるらしく、心霊スポットとして紹介されることもある。ここは自殺の対策がとても難しいらしい。
山梨県

道坂隧道に親子の幽霊が出るらしいけど【山梨】

坑門はコンクリートで完全に塞がれていた。どうやら反対側も同様に塞がれているようだ。大正年間のトンネルなので史跡的な価値もありそうなものだが、なぜここまでガチガチに閉じてしまったのだろうか。崩落の危険性があったからだろうか?或いは悪さをする輩が集ったのかもしれない。