九州地方

鹿児島県

涙橋決戦之碑と元文の板碑の由来について【鹿児島】

鹿児島の涙橋には悲しい由来があります。江戸時代、刑場に連行される罪人が最後のお別れをした場所がこの橋のたもとだったといわれています。多くの人々が涙を流したことから涙橋と呼ばれるようになりました。という暗い歴史が残っている場所ですのでいつの頃からか心霊スポットとして有名になってしまいました。
熊本県

立神峡に幽霊が出るうわさが流れているのは水難事故のせい?【熊本】

立神峡は氷川が年月をかけ石灰岩層を削り造り上げた峡谷です。夏時期になると川遊び、バーベキューや釣りなどで遊ぶお客さんで賑わいます。キャンプ場などの宿泊施設もありますので夏休みに思い出作りにぴったり。立神峡には怖い噂があります。夏の観光地として知られていますが、心霊スポットとしても有名とのこと…。
鹿児島県

小串トンネルは本当に心霊スポットなのか?【鹿児島】

たまにある心霊スポットになった理由が全くわからない場所。いや、たまにというか…。よくあるかな。そんな心霊スポットに行くといつもがっかりするわけですが、鹿児島市内旅行のついでに遠回りして行った大隅半島の肝付町にある小串トンネルはまさにそんな場所でした。
鹿児島県

磔者坂と大石兵六夢物語について【鹿児島】

磔者坂…。『はたもんざか』と読みます。もう、名前からして怖い。同世代の方はわかってくれるかな?『地獄先生ぬ~べ~』という漫画にはたもんばと呼ばれる妖怪が出てきます。輪状の刀が特徴的な超怖くて超強い敵でした。これ以上は脱線してしまうので気になる方は調べてください。ちょっとグロいです。磔は処刑の一つ。
熊本県

神風連の乱とは?明治政府に戦いを挑んだ者たち【熊本】

1876年(明治9)10月24日、神風連の乱は起きました。元肥後藩士の太田黒伴雄、加屋霽堅、斎藤求三郎が率いる神風連(敬神党)は明治政府に戦いを挑みます。熊本鎮台の司令長官や県令を襲撃し、その後熊本鎮台(熊本城)へ向かいます。
熊本県

旧佐敷トンネルは心霊スポットなのか?【熊本】

熊本県の心霊スポットして有名な佐敷隧道(通称・旧佐敷トンネル)。熊本出身の小説家・徳冨蘆花が書いた紀行文『死の陰に』に旧佐敷トンネル(佐敷隧道)が登場します。トンネルは1903年に造られました。煉瓦造りで長さ434m、幅5.5mあります。2002年、佐敷隧道は登録有形文化財に指定されています。
熊本県

地震で被害を受けた熊本城【熊本】

築城名人の加藤清正が普請した城として知られ、日本三名城のひとつに数えられています。1877年(明治10)に起きた西南戦争で主戦場になった熊本城は天守や御殿を始めとした建造物が破壊されてしまいましたが、戦禍を免れた建物もあり11棟の櫓、1棟の門、長塀が1ヶ所、計13件の建物が国の重要文化財に指定されました。
鹿児島県

薩摩島津氏15代目・島津貴久が築城した内城へ【鹿児島】

島津貴久はそれまでの居城だった清水城を出て内城を築城します。貴久の長子である義久もここを居城としました。薩摩藩初代藩主の島津忠恒が鶴丸城(鹿児島城)を築き、そこに移ると内城は使用されなくなり大龍寺が建立されます。大龍の名は島津貴久の戒名『南林寺殿大中良等庵主』と島津義久の法号『龍伯』から取られています。
鹿児島県

ザビエル公園が心霊スポットだといわれる理由について【鹿児島】

ザビエル公園がある東千石町には千石取り以上の武士が住む武家屋敷が並ぶ町がありました。所謂上級武士がこの辺りを闊歩していたのでしょう。1908年にエミール・ラゲ神父がザビエルの功績を称えて石造りの記念教会を建てました。エミール・ラゲ神父は日本で布教活動をし聖書の日本語翻訳や仏和辞典を編纂した人物です。
鹿児島県

南郡元町の牛掛灘の古戦場の案内板について【鹿児島】

後醍醐天皇から征西大将軍に任命された懐良親王(後醍醐天皇の息子)は吉野から四国を経由して薩摩に上陸。そして谷山隆信・忠高の一族が守る谷山城に入ります。征西大将軍は九州や四国を平定するための将軍のこと。看板の説明と時代背景を鑑みるに牛掛灘の合戦は、
熊本県

布田保之助が命を懸けて完成させた通潤橋【熊本】

通潤橋は江戸時代後期に用水確保を目的として築造された石橋です。白糸村(現・山都町)には緑川という大きな河川が流れています。しかし川は深い谷の底を流れていたため用水の確保に大変苦労したそうです。そこで惣庄屋の布田保之助は用水橋を架け谷の対岸から水を導こうと考えたのでした。
熊本県

心霊スポット・宇土殺とは?撤去された廃墟の真実はいかに【熊本】

宇土殺は廃墟の心霊スポット。今はもう門しか残っていない。熊本地震で建物損壊、そのまま撤去されてしまったそうだ。有名な心霊スポットになってしまったのはこの名前のせいではなかろうか?数十年前にここで殺人事件があり、その後廃墟になったらしい。一家惨殺とか夫人が殺害されたとか様々な話が交錯している。
熊本県

重要文化財の霊台橋の歴史【熊本】

弘化2年、惣庄屋に就任した篠原善兵衛が石橋の架橋を計画します。施工者は大工棟梁の伴七、種山村の石工である卯助、その兄弟の宇市、丈八。そして地元の民衆です。工事は弘化3年に開始され6~7ヶ月後、翌年の弘化4年に落成、渡初が行われました。梅雨や台風を避けるためかなり急ピッチで作業が行われたそうです。
宮崎県

心霊スポットのうわさが流れている平和台公園について【宮崎】

宮崎市の平和台公園が心霊スポットとして有名だという情報を得て訪れました。公園で一番インパクトがあったのは平和の塔。荘厳な雰囲気がとてもカッコよかったです。それ以外ははにわ園がちょっと面白いなと感じた程度であとは『凄く広くて賑わっているな。』くらいかな。何で平和台公園が心霊スポットなのか?
佐賀県

佐賀県立森林公園の千人塚に心霊スポットのうわさが流れている理由【佐賀】

佐賀県を流れる嘉瀬川下流域にある佐賀県立森林公園。全体的にかなり賑やかな公園ですが、ここだけは『しーん』としたちょっと湿っぽい雰囲気が感じられます。どうやらその一角だけ心霊スポットとして知られているようです。千人塚とは災害地や刑場などで亡くなった多くの命を弔うために造られた塚のことをいいます。
宮崎県

飫肥城と伊東氏の歴史について【宮崎】

飫肥城は宮崎県日南市中央部に位置する飫肥地区にあった城です。築城年や築城者は不明ですが、少なくとも南北朝時代には存在していたのではないかと考えられています。戦国時代に入ると伊東氏と島津氏が飫肥城を巡り争っています。