佐賀県

蟻尾山に流れる心霊の噂について考える

佐賀県鹿島市にある蟻尾山。中腹には野球場や陸上競技場などを伴う大規模な公園が設置され、休日になると大変賑やかになる。この山は鹿島平野から佐賀平野を一望出来る戦略的重要拠点だったため城が築かれた。歴史も興味深いが、今回ここを取り上げた一番の理由は、蟻尾山に心霊スポットの噂があると聞き入れたからだ。
心霊スポット【まとめ】

私が実際に訪れた佐賀県の心霊スポット17ヶ所を紹介する

私が実際に訪れた佐賀県の心霊スポットをまとめ形式で紹介します。各項目に記事のリンクを張りますので、詳しく知りたい方はリンクから飛んでご覧ください。それでは参りましょう!
佐賀県

源為朝の伝説が残る心霊スポット・五万ヶ池について

佐賀県三養基郡上峰町、鎮西山の中腹にある五万ヶ池。何の変哲もない小さな池に見えるが、どういう訳か曰く付きの場所として知られている。一体、ここで何があったのか?県道46号線を北上し長崎自動車道の高架下を潜った先にある『鎮西山入口』の看板を右折。突き当りまで進むと写真の石碑がある駐車場に到着する。
佐賀県

呪詛伝説・鬼子嶽末孫と岸岳城、及び松浦党・波多氏の歴史について

殉死者によって残されたという辞世の句の多くは、主家を滅ぼした豊臣秀吉と寺沢父子に対する怨みに染まっている。『鬼子岳末孫』現地の方々は瑞巌寺跡の輪塔群を『末孫様』と呼び、雑な扱いをすると祟りに遭うと云う。波多氏の呪詛は今も尚、続いているのだろうか?
佐賀県

佐賀藩の祖・鍋島直茂の軌跡。胞衣塚と高伝寺の墓所へ【佐賀】

佐賀の鍋島の御殿様が囲碁を打っているときカッとなって相手を殺してしまいました。殺された人の名前を龍造寺といいます。その死は隠されましたが龍造寺の母がそのことを知り、飼っていた猫に恨みを果たしてもらうよう自身の血を舐めさせ亡くなります。
佐賀県

水没世帯多数?!北山ダムが心霊スポットと言われる理由について調べたら…。

1957年3月30日、嘉瀬川の最上流域に北山ダムは築造された。『降れば大水、照れば干ばつ』佐賀平野で暮らす人々は昔から洪水と干ばつの被害を耐え忍んできた。佐賀県は山地よりも平野の割合が高いため、大雨が降れば山間部の少ない森林が保水しきれず洪水が発生し、日照りが続けば乏しい保水力が故に干ばつが起こる。
佐賀県

厳木(きゅうらぎ)にあるダムが心霊スポットと噂されているらしいので根拠を考えてみた!

唐津市厳木町にある厳木ダム。ダム湖の周囲を走る県道に4本のトンネルがある。そのいずれかでテケテケというオバケに追いかけられるという噂があるようだ。せめて、女性の泣き声がするとか、石が動き出すなんて霊現象だったら、歴史的な根拠があって面白いのにと思った次第である。
佐賀県

ここで何が?心霊スポットの噂がある河内ダムについて調べてみた!

水没が関係ないのだとしたら、後は事件や事故関連だろうか?昭和後期の資料は残念ながら探し出せなかったが、なんと1998年(平成10)にここで殺人事件が発生していことが判明した。20代の男性が河内ダムえん堤下駐車場で暴行され、放水路に投げ込まれ死亡したという事件。
佐賀県

龍造寺隆信の生誕地と高伝寺境内の墓へ【佐賀】

龍造寺隆信は1529年に肥前国の水ヶ江城で生まれた武将です。龍造寺氏は国人衆として少弐氏に仕えていましたが、隆信の下剋上によって戦国大名まで上り詰めています。肥前国を統一後、更なる勢力拡大を目指し豊後国の大友氏や薩摩国の島津氏と対立するようになりました。
佐賀県

大量殺人事件の噂?!心霊スポットとして有名な『イノちゃん山荘』について

心霊スポットとして有名になったのは稲川淳二さんの『恐怖の現場~終わらない最恐伝説~VOL.2』で紹介されている『I山荘』が発端であろう。彼は作品の中で『I山荘』についてこう語っている。こんなこと言ったらオカルト界隈から爪弾きにされそうだが、これが嘘の情報なら結構な罪を犯していると思う。
佐賀県

大財公園が心霊スポットといわれる理由について

写真の石碑が『戦死者を祀る碑』かもしれない。摩耗していて文字は全く読めなかった。1995年から420年前は1575年。肥前の熊こと龍造寺隆信が肥前国を統一するかどうかの時期だった。恐らくは『肥前国内の国人衆を排除するための戦』か『豊後から攻めて来た大友宗麟を撃退した戦』に関する古戦場なのだろう。
福井県

自殺の名所の今!名勝・東尋坊に訪れたのでいろいろと紹介する

東尋坊は柱状節理の世界三大絶勝のひとつに数えられる名勝である。他の二箇所はノルウェーの西海岸と朝鮮半島の金剛山。非常に珍しい地形なので国の名勝・天然記念物に指定されている。転落防止用の柵が設置されていないので崖の際まで行くことが可能。油断したら落ちるので注意が必要。落ちたらまず助からない。
富山県

城郭群の中心に位置する松倉城とは?越登賀三州志・故墟考から歴史を振り返る【富山】

松倉城は魚津市の南部に位置する鹿熊山の頂上に築かれた連郭式の山城です。その規模から増山城(砺波市)、守山城(高岡市)と共に越中三大山城の一つに数えられています。一帯の統治者は松倉城を死守しなければなりませんでした。なぜなら城の背後に金山を抱えていたからです。故に広範囲に亘る堅牢な城郭群が築き上げられたのでしょう。
富山県

日本三大大仏に数えられる高岡大仏について【富山】

富山旅行で訪問した高岡城散策の際に偶然見つけた高岡大仏。上の写真をご覧いただくとわかりますが、寺院自らが日本三大大仏を謳っています。強豪犇ひしめくなか、残りの一座を他を差しおいて堂々名乗る覚悟は見事としか言いようがありません。さて、高岡大仏にはどのような歴史があるのでしょうか?
富山県

越中高岡城へ!前田利長が隠居のために築いた城だけど……【富山】

高岡城は初代加賀藩主・前田利長が江戸時代初期に築いた平城です。現在、城跡は高岡古城公園として整備され、園内に石垣や堀、井戸などの僅かな遺構が残ります。2015年(平成27)には歴史的な価値を認められ国の史跡に指定されました。
富山県

富山城の歴史と越中売薬の基礎を築いた前田正甫について【富山】

或ハ富山城ヲ安住城又安城ト云訛也(安住、安ハ安田城ノ一名)富山城新川郡ニ在テ平城也西ハ神通川ヲ帯フ其城築ハ水越越前守勝重経始ト云(中略)神保氏三世之ニ據ト也越登賀三州志 富山城より或いは富山城を安住城、又は安城といった。富山城は新川郡にあっ...