いちのまる

神奈川県

小田原征伐の伝説!秀吉の一夜城・石垣山にまつわる心霊の噂

石垣山城には心霊スポットの噂があるらしい。直接的な戦いは無いはずなので不思議に思ったが、様々なサイトを確認すると『あまりに早急な普請に多くの人夫が事故や過労で亡くなって云々』と紹介されていた。
静岡県

伊豆半島最南端にある石廊崎の愛逢岬へ。愛に狂わされた家族の最期は…。

不倫相手を殺害した男が家族を道ずれに投身したのが愛逢岬(石廊崎)であった。奥石廊崎展望台から岩場下へ向かう遊歩道に『親子4人で心中したので、ご迷惑ですがお届けよろしくお願いします。』という趣旨の遺書が置かれ、下の海岸に4人の水死体が打ち寄せられていた。
神奈川県

見晴トンネルの噂。事故で亡くなった方の幽霊が出ると云うけれども…。

見晴トンネルには心霊スポットの噂があるらしい。オカルトサイトを確認すると工事中に死人が出たとか交通事故が起きたとか紹介されていたので、ちょっと気になって調べてみたけれども、噂が飛び交っているだけで確証となる資料は一切見つからなかった。
東京都

多摩テックの歴史と心霊スポットの噂について

多摩テック跡には心霊スポットの噂が流れている。多摩テックで発生した確証の取れている死亡事故は2件。上述したカミナリ族のオートバイ転落事故とゴーカートによる事故である。幽霊の噂はこの2つの事故が根拠になっているのだろうか?
埼玉県

秋ヶ瀬公園に幽霊が出る理由。これだけ事件が起きていれば…。

秋ヶ瀬公園はそこそこ有名な心霊スポットとして知られている。『首吊り自殺をした霊が出る』『深夜に赤ん坊の泣き声がする』『首の無い幽霊が現れる』『大柄な女性の幽霊が出没する』などと噂されているようだ。
神奈川県

聖域か?心霊スポットか?かつては20mの瀑布だったらしい白滝不動滝へ

大正年間の大地震で二宇ともに全壊してしまったが、どういうわけか周辺の村の住宅は一切倒壊しなかった。住民は『両不動尊がお守り下さった!』と一丸となり立派な一宇のお堂を建て直し、そこに白滝不動尊と荒沢不動尊を安置した。
茨城県

龍ケ崎市の旧竹内農場赤レンガ西洋館って何の建物?

旧竹内農場赤レンガ西洋館には心霊スポットの噂があるようだ。ここで事件や事故が発生した記録は見つからなかった。放置されていた時代に『草むらの中に不気味なレンガの廃屋があるから肝試しに行ってみようぜ!』みたいな話が出て、それが心霊スポットの噂に繋がっただけではないかと憶測している。
心霊スポット【まとめ】

私が実際に訪れた茨城県の心霊スポット30ヶ所を紹介する

私が実際に訪れた茨城県の心霊スポットをまとめ形式で紹介します。各項目に記事のリンクを張りますので、詳しく知りたい方はリンクから飛んでご覧ください。それでは参りましょう!
心霊スポット【まとめ】

私が実際に訪れた山梨県の心霊スポット30ヶ所を紹介する

私が実際に訪れた山梨県の心霊スポットをまとめ形式で紹介します。各項目に記事のリンクを張りますので、詳しく知りたい方はリンクから飛んでご覧ください。それでは参りましょう!
山梨県

立入禁止の花魁淵!殺戮の心霊スポットだと云うけれども……

柳沢川に宴台をつくりその上で舞わせた。舞の最中、宴台を吊っていた藤づるを切って宴台もろとも渕へ沈めたことから『おいらん渕』の伝説が生れた。
東京都

武蔵野の森公園の過去を振り返る!園内の掩体壕大沢1号、2号って何?

伊豆諸島への玄関口となる調布飛行場を囲うような立地に位置する。公園北側には掩体壕と呼ばれる戦争史跡が残されており軍事施設として利用された過去を呼び起こす。掩体壕とは?
埼玉県

有名YouTuberの紹介によって有名になった薬師堂のマキってどんなところ?

2019年(平成31)にとある有名Youtuberグループが薬師堂のマキを心霊スポットとして紹介したことにより一気に有名になった。心霊スポットを扱う有名どころのサイトを幾つか確認してみたが、やはり2019年(平成31)以降に情報を公開している。
茨城県

美浦村の歴史的廃墟!霞ヶ浦分院と鹿島海軍航空隊基地の歴史と今後について

霞ヶ浦分院の前身は鹿島海軍航空隊基地で、司令本部庁舎、兵舎跡、ボイラー、発電機棟などの遺構が残る。鹿島海軍航空隊は1938年(昭和13)に発足。終戦の1945年(昭和20)に解隊した。霞ヶ浦の地の利を活かした水上機の訓練が行われていたと云う。
神奈川県

畠山重忠の首塚へ!非業の死を遂げた重忠の最後の軌跡を吾妻鏡から振り返る

畠山重忠の首塚には幽霊が出ると云う。ここが古戦場だからだろうか。それとも重忠の無念の死に由来するものだろうか。古戦場が理由であるならば特に異論はないのだが、重忠の怨みが云々と言われると何だか釈然としない。
山梨県

腹切地蔵尊の曰く。源頼朝と共に戦った安田義定を吾妻鏡からみる

吾妻鏡を読むと安田義定の性格や能力に問題があったように読み取れなくもないが、これは鎌倉幕府の人間が編纂した書物だから偏見が入っている可能性もある。といってもこれ以上に安田義定についての記述がある書物はないだろうから頼らざるを得ないのだけれども。
神奈川県

石橋山の戦いで敗北した源頼朝が隠れ潜んだとされる『しとどの窟』へ!

伊豆国で挙兵した源頼朝が石橋山の戦いで平氏方に敗れて潜んだとされる"或巖窟"。現在、その"或巖窟"は『しとどの窟』と呼ばれている。『しとど』はホオジロ科の小鳥の古名を指す。
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