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相模湖について!ダムの慰霊碑は誰を弔うために建てられたのか?

廃墟や水没集落の存在は心霊スポットの根拠として十分過ぎるのだが、それを確固たるものにしているのは相模湖畔の慰霊塔であろう。冒頭でも述べた通り相模ダムの竣工は1947年(昭和22)とかなり古い。土木技術や安全対策が未熟であった当時は当たり前のように死傷者が出た。
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鶴岡八幡宮に幽霊が出るなんて信じられないが…。昔ここで何かが起きたのだろうか?

ところで鶴岡八幡宮に信じられない噂があるのをご存じだろうか?どうやら幽霊が出るらしい。と言ってもネットの情報で、しかも何処の心霊サイトでも紹介されている訳ではなく、極一部の方々が吹聴するに留まっているのだが…。暗殺された三代将軍・実朝公の幽霊でも御登場為さるか?
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源氏旗揚げの地!源氏山公園に刑場跡だったという噂があるようだけれども…。実際は?

歴史的な土地柄からか鎌倉市には多くの心霊スポットが点在している。源氏山にも落ち武者や自殺者の幽霊が出ると噂があるようだ。日野俊基は元弘の乱の初期(元弘の変)に討幕計画の疑いをかけられ捕縛された後、化粧坂上の葛原ヶ岡で処刑された。
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関東大震災の復興事業の一環で穿たれた大原隧道!当時は限られた人しか通れなかったって本当?

1923年(大正12)に発生した関東大震災から5年後の1928年(昭和3)に復興事業の一環で水道本管の敷設を目的として竣工されたトンネルである。現在も地下には水道管が通っていて活用されている。延長254m、高さ3.62m、幅2.44m。
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鎌倉五名水の銭洗弁財天宇賀福神社へ!お金にまつわる心霊スポットって話を聞いたけど

私は迷信じみた話を信じない質なので、銭洗いはしなかった。何処で聞いたか失念したが『お金に関するドロドロとした欲が集まる場所』だから空気が悪いという話もあるようだ。理解出来なくも無いが『金=悪』という短絡的な思想に辟易する。なんだろうか?ねずみ男のような妖怪或いは幽霊が出るとでも言うのだろうか?
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新編相模国風土記稿で見る鎌倉長谷寺。その歴史を境内の景色と一緒に紹介するよ!

寺院系の心霊スポットは決して珍しくはないのだが、槪ね曰くがはっきりとしている。例えば幽霊画で知られる寺、外壁が真っ赤な寺、刑場に建てられた寺など。ここ長谷寺にも何か歴史的な根拠がるのだろうと期待して調査してみたものの残念ながら目ぼしい情報は見つからなかった。
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源氏の頭領!鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓は何故質素なのか?

源頼朝の死は謎に包まれている。鎌倉時代の歴史を語るに外せない史書・吾妻鏡は頼朝死去の前後の記述を残していない。他の史料からほぼ間違いなく1199年(建久10)1月13日に亡くなったと判明していて、家臣の妻を供養するために出掛けた帰りに落馬してそれが原因で病気となり死亡したと云われることが多い。
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新田義貞の龍神伝説が残る稲村ヶ崎へ!幽霊の根拠はいろいろありそう…。

稲村ヶ崎といえば鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ新田義貞の龍神伝説にまつわる土地である。各切通しから鎌倉に攻め入ろうとした新田義貞だったが、鎌倉の天然要害に籠る幕府軍の死に物狂いの抵抗に攻めあぐねていた。南方に位置する稲村ヶ崎は大軍が通り抜けられるほどの広さは無く、そこは逆茂木の罠や船からの攻撃によって難攻不落であった。
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由比ガ浜に幽霊の噂?約4000体の人骨が発掘された曰く付きの海岸はどんなとこ?

鎌倉時代中頃の由比ガ浜周辺には集団墓地があったと判明。凡そ4000体の人骨が埋もれていたのである。静御前の悲痛がひしひしと伝わってくる名場面である。源義経の赤子が兄・頼朝の命令によって由比ガ浜に打ち捨てられた。敗北した和田義盛の一党は処々で討ち取られ、その首は由比ガ浜に集められ首実検が行われた。
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夏目漱石の長編小説『こころ』に登場する材木座海岸。なんで心霊スポットなの?

材木座中世遺跡では1953年に第1次、第2次。1956年に第3次発掘が行われ、910体の白骨が見つかった。時代は鎌倉末期、つまり新田義貞の鎌倉攻めに関係する戦死者の白骨では無いかと推断されている。現地には万霊供養塔(骨塚)が建っている。ただ、材木座海岸からはやや離れた場所にある。
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鎌倉幕府の終焉地、腹切りやぐらへ!太平記に描かれる北条高時の最期について

この場合の『やぐら』は見張り台の櫓ではなく横穴式墳墓を指す。腹切りやぐらは鎌倉幕府第14代執権・北条高時が切腹した場所と伝わるが、太平記を読む限りやぐらで切腹をした描写は無い。東勝寺跡は数回に亘って発掘調査が行われており、その実在は証明されている。腹切りやぐらまでのハイキングコースは全面通行止めとなっている。
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1977年からずっと通行止め!草生茂る釈迦堂切通をはるか遠くから惚け眺める…。

この辺りは鎌倉幕府初代執権の北条時政の邸宅として紹介されていた。しかし発掘調査で複数の建物跡、火葬が行われた跡や多数のやぐらが発見されたことから廃寺の可能性が高いとされている。また発掘された最も古い遺構が北条時政が没した後の時代のものであったことから、名越邸説は覆り、大町釈迦堂口遺跡と名称を改めるに至った。
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久木踏切の傍らにある轢死者供養塔と馬頭観音について!

久木踏切の傍らに2基の石碑が安置されている。左が1922年に建立された馬頭観音、右が1915年に建立されたと云う轢死者供養塔。横須賀線は軍事的な理由で横須賀・大船間に敷かれた歴史のある路線だ。1889年に運行を開始しているので、この供養塔はそれから約26年後に建てられた事になる。
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中世の大墳墓!まんだら堂やぐら群跡に訪れたけど…。期間限定オープンだったというお話…。

鎌倉七口のひとつ名越切通の中にあるまんだら堂やぐら群。『やぐら』とは鎌倉市に点在する中世の横穴式墳墓のことで、主に武士や僧侶、文化人などの上流階級の人々が埋葬された。鎌倉時代後期から室町時代中期頃まで造られた『やぐら』は3000基以上確認されている。まんだら堂やぐら群は現在のところ常時開放されていない。
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鎌倉七口・国指定史跡の名越切通を通る。吾妻鏡の『とある殺人者』の記述を添えて

現地の案内板によると名越切通が初めて史料に登場するのは吾妻鏡と紹介されている。どのような文章なのか気になったので以下に引用する。文中の名越坂が名越切通の事で、犯人を外部へ逃さないように封鎖した場所、血の付いた服を洗う犯人を捕らえた場所として描かれている。このように有事の際には各切通を封鎖し検問を敷いたのである。
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日本屈指の心霊スポット、小坪トンネルを歩く!あの川端康成も取り上げた?!

神奈川県鎌倉市と逗子市の境、名越切通の下部に6本のトンネルが並ぶ。その内の名越隧道と小坪隧道は1883年(明治16)に地元の有志によって穿たれたトンネルが前身となっており、大正年間に拡張や補強が為された。坑口部のレンガ積みは当時の面影を残す貴重な土木史跡として認められている。
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