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城郭群の中心に位置する松倉城とは?越登賀三州志・故墟考から歴史を振り返る【富山】

松倉城は魚津市の南部に位置する鹿熊山の頂上に築かれた連郭式の山城です。その規模から増山城(砺波市)、守山城(高岡市)と共に越中三大山城の一つに数えられています。一帯の統治者は松倉城を死守しなければなりませんでした。なぜなら城の背後に金山を抱えていたからです。故に広範囲に亘る堅牢な城郭群が築き上げられたのでしょう。
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日本三大大仏に数えられる高岡大仏について【富山】

富山旅行で訪問した高岡城散策の際に偶然見つけた高岡大仏。上の写真をご覧いただくとわかりますが、寺院自らが日本三大大仏を謳っています。強豪犇ひしめくなか、残りの一座を他を差しおいて堂々名乗る覚悟は見事としか言いようがありません。さて、高岡大仏にはどのような歴史があるのでしょうか?
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越中高岡城へ!前田利長が隠居のために築いた城だけど……【富山】

高岡城は初代加賀藩主・前田利長が江戸時代初期に築いた平城です。現在、城跡は高岡古城公園として整備され、園内に石垣や堀、井戸などの僅かな遺構が残ります。2015年(平成27)には歴史的な価値を認められ国の史跡に指定されました。
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富山城の歴史と越中売薬の基礎を築いた前田正甫について【富山】

或ハ富山城ヲ安住城又安城ト云訛也(安住、安ハ安田城ノ一名)富山城新川郡ニ在テ平城也西ハ神通川ヲ帯フ其城築ハ水越越前守勝重経始ト云(中略)神保氏三世之ニ據ト也越登賀三州志 富山城より或いは富山城を安住城、又は安城といった。富山城は新川郡にあっ...
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たまたま通った白倉トンネルがやっぱり心霊スポットだった件

北陸遠征のときにたまたま通った白倉トンネル。入った瞬間『あ、ここ絶対心霊スポットだ!』と直感。殆ど霊を信じていない私だが、何とも言えない不気味な雰囲気に若干の恐怖を感じた。後々、トンネルについて調べると北陸地方でかなり有名な心霊スポットだと分かった。何枚か写真を撮って来たので、その様子を紹介しよう。
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大隈重信や江藤新平が通った佐賀藩の藩校・弘道館跡へ【佐賀】

弘道館は佐賀藩・八代藩主の鍋島治茂が1781年に創設しました。十代藩主・鍋島直正は教育を重要視し弘道館を整備拡張、教育予算を大幅に増額させます。そして学び育った優秀な人材を出自問わずに登用しました。弘道館からの優秀な人材、名君・鍋島直正の先見の明が佐賀藩を他藩よりもいち早く近代化させることに成功します。
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三瀬峠の聾なおし地蔵と国境石について

佐賀新聞に『三瀬峠女性殺人・死体遺棄事件』『三瀬峠OL殺人・死体遺棄事件』とある。当時の新聞を読まないと詳細は分からないが、犯人は捕まらず時効を迎えています。また吉田修一氏の『悪人』という小説に三瀬峠が描かれている。上記事件と同様に作中で女性が殺害され、峠に死体が遺棄されている。
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眼病平癒のパワースポット・観音の滝へ!よいこは滝壺に近づかないように

後程詳しく紹介するが、ここは眼病に御利益があるパワースポットとして知られ多くの参拝者が訪れる。また夏場になると涼しさと癒しを求める観光客で賑わうとの事。ところがオカルト界隈では観音の滝を曰く付きの場所として扱っている。所謂心霊スポットというやつだ。心霊の根拠はあるのか?その辺りを探ってみよう。
佐賀県

身命を賭して苦行に励んだ二人の物語!修行場・清水の滝へゆく

清水観音宝地院の境内にある清水の滝。滝壺の傍に倉永節士清雄之碑と誠感碑と呼ばれる石碑が置いてある。ここで亡くなった倉永清雄と下村芳充を偲んで建立されたものとの事。それでは清水の滝、及び二つの石碑について見ていこう。
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江藤新平と佐賀の乱について【佐賀】

江藤新平は幕末から明治初期に活躍した佐賀県出身の政治家で、『佐賀の七賢人』、明治政府に貢献した『維新の十傑』の一人に選ばれています。征韓論を巡る政争の結果起きたとされる明治六年政変で下野したのち、佐賀県に帰省し佐賀の乱のリーダーの一人として新政府軍と戦いますが、新政府軍に敗北し捕縛され獄門に処されてしまいます。
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佐賀の黒髪山へ!心霊じゃなくて神霊スポットだね、ここは。

黒髪山へ。心霊スポットだと囁かれていると聞き訪問したわけだが。霊も神も殆ど信じていない私が言うのも可笑しな話ではあるが心霊スポットというよりも神霊スポットといった方がしっくりくる。帰宅して黒髪山について調べると山岳そのものが信仰の対象となっている神体山であることがわかった。
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鹿島鍋島氏の居城・常広城へ!心霊スポットと噂されているようだけど、何故?

どうやらここ、心霊スポットとして知られているらしい。心霊サイトを見ると『処刑場があった』とか『洪水で死者が出た』などといったことが書かれている。処刑場云々証明の仕様がないので、何とも言えないが、城の直近に仕置き場を設置するだろうか?
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肥前鍋島氏の万部塔と龍造寺家兼ゆかりの六地蔵【佐賀】

佐賀市水ヶ江一丁目に万部塔と六地蔵という史跡があり、その場所は万部島と呼ばれています。万部とは万部経のことで『追善や祈願などのために、万部の経典を読むこと』の意味があります。名前の通り万部島は川(堀)に囲まれた島だったようです。万部読経が行われた島ということですね。
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焼米溜池とは?ここが心霊スポットと言われる根拠を探ってみた!

武雄市北方町にある焼米溜池。心霊スポットとして知られているらしいが、不気味な雰囲気は一切なく長閑な風景が広がっていた。まずは焼米の由来から見ていこう。平凡社の日本歴史知名大系代四十二巻 佐賀県の地名に次のように記されている。今は跡形もないだろうが、焼米溜池を築造するにあたって集落が沈められている。
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轟の滝は心霊スポット?いや、ここは縁結び&パワースポットだと私は思う

滝の上部には不動明王が鎮座していた。(なんかカメラ目線だね。)私は神も仏も霊も殆ど信じていないが、仮にそれらがいるとして、この場所に悪霊がいられるとは到底思えない。お不動様はとても力強い明王なのだから。ここは縁結びスポットでもあり、パワースポットでもある。
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佐賀城の風景を眺めて。幕末の名君・鍋島直正公について【佐賀】

当主の龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死すると、重臣の鍋島直茂が中心となって龍造寺家を支えます。次第に龍造寺氏の力が衰え始めると鍋島氏が実権を握るようになりました。江戸時代に入ると龍造寺氏が居城にしていた村中城を鍋島直茂・勝茂父子が改修、拡大します。これが佐賀城の始まりです。