関東地方

群馬県

群馬県民の内紛?!蚊帳の外の桐生市民が『前橋vs高崎』の歴史を振り返る【群馬】

群馬出身の私は常々こう思っていました。高崎市は前橋市と比べて人口が多くて明らかに都会の雰囲気。新幹線も通ってるし。私でさえそうなのだから何も知らない人が高崎市と前橋市を見比べたら群馬の中心は高崎市と思うはず。
群馬県

群馬一の低い山?伊勢崎市の八寸権現山に登る【群馬】

伊勢崎市に群馬で一番低い山があると聞き早速向かうことにしました。その名は八寸権現山(はちすごんげんやま)。住宅街の中にポツンと佇むこの山は赤城山の斜面にある標高91m、直径約200mの流れ山です。
群馬県

大鳥居と数百基の赤鳥居!小泉稲荷神社へ【群馬】

群馬県にも京都の伏見稲荷大社や山口県の元乃隅稲成神社のような千本鳥居があると聞き参拝してきました。さて、群馬の千本鳥居は如何なものか?小泉稲荷神社の場所伊勢崎駅方面から群馬県道68号線を進むと東町の信号があります。そこを直進すると小泉稲荷神...
群馬県

白衣観音で有名な観音山の高崎百庚申を巡ろう!【群馬】

高崎市の観音山丘陵にある百庚申を巡りました。庚申塔に興味をお持ちの方は少ないかもしれませんが、掘り下げて調べてみると昔の人々の生活が垣間見れてなかなか楽しいものです。庚申については下仁田百庚申でまとめましたので、この記事をご覧になる前に一読していただくとわかりやすいかと思います。
群馬県

洞窟を掘り続けた山田徳三の日本庭園、徳明園へ【群馬の】

徳明園は実業家の山田徳蔵が開いた日本庭園です。山田徳蔵は『財産を子孫に残すと碌なことにならない!だから世のために金を使うべきだ』と考え高崎の繁栄と人々の信仰心を願い徳明園や隣接する洞窟観音を作り上げました。山田徳蔵(1885年~1964年)...
群馬県

高崎市の観音山にある洞窟観音に潜る【群馬】

群馬県高崎市の洞窟観音に行ってきました。新潟県柏崎市出身の山田徳三(1885~1964)が自らの私財を投げ打ち完成させた『観光参拝所』です。人力のみで掘削したもので総延長は400mほどあります。地元の人々が観音巡礼(札所巡り)を気軽に行える...
群馬県

前橋が生んだ偉人!日本近代詩の父・萩原朔太郎ゆかりの地を巡る【群馬】

萩原朔太郎は群馬県前橋市千代田町の生まれで明治から昭和を生きた詩人で、代表作に『月に吠える』『青猫』『氷島』『猫町(小説)』などがあります。日本近代詩の父と呼ばれ口語自由詩を確立させました。それでは前橋市にある萩原朔太郎ゆかりの地を見てみましょう!
群馬県

私の地元・(旧)勢多郡新里村を散策してきた【群馬】

せっかく旅行記ブログを書いているのだから地元も記事にしなければと思い立ち、一日かけて桐生市新里町を散策してきました。私が過ごしていた頃は群馬県勢多郡新里村でしたが、平成の大合併により町に昇格しました。『この村、なんもないな~』と若かりし頃過ごしましたが、注意して探せば色々と見つかるものですね。
群馬県

三国街道の白井宿と白井城跡を歩く【群馬】

白井城は室町時代から江戸時代初期にかけて存在した城。利根川と吾妻川の合流地点にあり利根川方面が白井宿、吾妻川方面が断崖になっています。崖を利用して造られた城を崖端城と呼ぶそうです。城主がコロコロ変わっています。白井長尾氏→上杉氏→武田氏→後北条氏→徳川氏という感じ。
神奈川県

神奈川県立歴史博物館に幽霊?!原因は関東大震災か【神奈川】

1923年(大正12年)9月25日の読売新聞朝刊に横浜正金銀行と関東大震災に関する記事があった。引用は出来ないので要約して紹介する。この文章の“周辺では逃げ遅れてきた140人が焼死していた。”が強調されて噂の根拠となっているようだ。関東大震災によって横浜市では25,000人以上の死者・行方不明者が出ている。
茨城県

成田不動明王の石碑、通称・おばけ石【茨城】

1975年(昭和50)の夏にこの石碑に人間の顔が浮き出ていると世間を賑わせた。長髪の女性、或いは老人の顔に見えると云われていたようである。人によって見え方が異なっているので、ぼんやりと映る程度だったのかもしれない。
東京都

オカルトサイトで紹介されている豊田陸橋へ赴いたが【東京】

どのサイトも『ここから飛び降りた人の霊が出る』と書かれているが、具体的な情報は一切記載されていない。何十年も前からある橋なので一人や二人落ちていてもおかしくはないか?ただこういう立地に架かる橋はたくさん存在するので、ここに限ったことでは無いとも思う。
茨城県

笠間市のブラックマンションと呼ばれる廃墟へ【茨城】

心霊スポットとして扱われているが、ここで事件や事故が発生したことはなさそうだ。正直言って取り上げるかどうか悩んだくらい退屈な心霊スポットであった。廃墟愛好家にとっては良物件なようだから、そういうのが好きな方は先人が残した内部の写真をネットで探してみるといい。
茨城県

渋井町緑地碑の裏面に。東茨城郡誌や水府異聞が伝える当地の歴史【茨城】

幕末期の水戸藩は天狗党(尊攘派)と諸生党(保守派)の対立が激しく血みどろの戦いを繰り広げた。上洛を目指していた天狗党が越前国で降伏すると諸生党は藩内の天狗党に属する人々の粛清を行った。戊辰戦争が発生すると今度は諸生党が追い詰められ天狗党の生き残りに粛清されている。
神奈川県

横浜市で唯一の渓谷!和田義盛に縁のある陣ケ下渓谷公園へ【神奈川】

陣ケ下の名称は鎌倉時代に源頼朝の御家人だった和田義盛が狩りのための陣を張ったことに由来しているそうだ。和田義盛は保土ケ谷に由縁のある武将なのでこのような言い伝えが残ったのであろう。渓谷は2004年(平成16)に風致公園として整備され、市民の憩いの場となっている。
茨城県

廃墟から遺体が?!今は無きパチンコ・ホールインワンの名残【茨城】

2004年(平成16)の新聞によると元パチンコ店『ホールインワン』の店舗二階で仰向けのミイラ化した遺体を土浦市の男性会社員(27)が見つけて通報したとある。この記事には『ホールインワン』が1996年(平成8)3月に廃業したと書かれていた。