九州地方

長崎県

一枚の写真がグラバー園を心霊スポットに?!『ハナの結婚式』とは

私は何度かグラバー園に訪問しているのだが、全く知らなかった。心霊の噂なんて…。原因は一つの写真にあるという。『ハナの結婚式』と称される展示写真に幽霊が写り込んでいるらしい。心霊写真があると知っていれば意地でも探しただろうが、そんなこととは露知らずチャンスを逃してしまった。
大分県

本耶馬渓の古羅漢探勝道を登山してきた【大分】

ここは景観を目的として訪問する方々がほとんどです。下から見るだけでも十分に耶馬渓観光を楽しめるのですが、私は『あの奇石の上はどうなっているの?』とか『上から麓の景色を眺めたら気持ちいいだろうな!』とか気になってしまうのです。という訳で本耶馬の古羅漢探勝道を探索してきました。
大分県

青の洞門と禅海和尚について!日本三大奇景の一つに選ばれる耶馬渓を眺める

日本三大奇景の一つに選ばれる耶馬渓は大分県の主力観光スポットである。本耶馬渓には奇石が1kmに亘って連なる競秀峰、その直下に穿たれた青の洞門などの名勝が存在し、特に秋、紅葉の季節に抜群のパフォーマンスを見せる。どうやら本耶馬渓の青の洞門に幽霊が出るという噂があるらしい。いわゆる心霊スポットだ。
熊本県

臼内切へ!肥後細川藩幕末秘聞を読んで

臼内切は臼根切とも記される。キリシタン弾圧を『デウス(神)の根を切る。』と例えたことが語源だ。肥後細川藩幕末秘聞によると臼内切は室町時代からある地名なので臼根切は後世の造語だと言い切っている。虐殺は嘉永6年(1853)に行われたと伝わる。しかし虐殺は口伝だけで公式の史料は残っていない。
佐賀県

日本赤十字社の礎を築いた佐野常民の記念館【佐賀】

佐野常民といえば日本赤十字社の礎を築いた人物として知られています。幕末から明治に活躍した佐賀出身の偉人を総称した『佐賀の七賢人』の御一人でもあります。1877年、西南戦争での惨劇を知り心苦しく感じた佐野常民、大給恒、桜井忠興らは中立な立場から救護を行うことを目的とした団体・博愛社を設立しようとします。
佐賀県

蟻尾山に流れる心霊の噂について考える

佐賀県鹿島市にある蟻尾山。中腹には野球場や陸上競技場などを伴う大規模な公園が設置され、休日になると大変賑やかになる。この山は鹿島平野から佐賀平野を一望出来る戦略的重要拠点だったため城が築かれた。歴史も興味深いが、今回ここを取り上げた一番の理由は、蟻尾山に心霊スポットの噂があると聞き入れたからだ。
佐賀県

源為朝の伝説が残る心霊スポット・五万ヶ池について

佐賀県三養基郡上峰町、鎮西山の中腹にある五万ヶ池。何の変哲もない小さな池に見えるが、どういう訳か曰く付きの場所として知られている。一体、ここで何があったのか?県道46号線を北上し長崎自動車道の高架下を潜った先にある『鎮西山入口』の看板を右折。突き当りまで進むと写真の石碑がある駐車場に到着する。
佐賀県

呪詛伝説・鬼子嶽末孫と岸岳城、及び松浦党・波多氏の歴史について

殉死者によって残されたという辞世の句の多くは、主家を滅ぼした豊臣秀吉と寺沢父子に対する怨みに染まっている。『鬼子岳末孫』現地の方々は瑞巌寺跡の輪塔群を『末孫様』と呼び、雑な扱いをすると祟りに遭うと云う。波多氏の呪詛は今も尚、続いているのだろうか?
佐賀県

佐賀藩の祖・鍋島直茂の軌跡。胞衣塚と高伝寺の墓所へ【佐賀】

佐賀の鍋島の御殿様が囲碁を打っているときカッとなって相手を殺してしまいました。殺された人の名前を龍造寺といいます。その死は隠されましたが龍造寺の母がそのことを知り、飼っていた猫に恨みを果たしてもらうよう自身の血を舐めさせ亡くなります。
佐賀県

水没世帯多数?!北山ダムが心霊スポットと言われる理由について調べたら…。

1957年3月30日、嘉瀬川の最上流域に北山ダムは築造された。『降れば大水、照れば干ばつ』佐賀平野で暮らす人々は昔から洪水と干ばつの被害を耐え忍んできた。佐賀県は山地よりも平野の割合が高いため、大雨が降れば山間部の少ない森林が保水しきれず洪水が発生し、日照りが続けば乏しい保水力が故に干ばつが起こる。
佐賀県

厳木(きゅうらぎ)にあるダムが心霊スポットと噂されているらしいので根拠を考えてみた!

唐津市厳木町にある厳木ダム。ダム湖の周囲を走る県道に4本のトンネルがある。そのいずれかでテケテケというオバケに追いかけられるという噂があるようだ。せめて、女性の泣き声がするとか、石が動き出すなんて霊現象だったら、歴史的な根拠があって面白いのにと思った次第である。
佐賀県

ここで何が?心霊スポットの噂がある河内ダムについて調べてみた!

水没が関係ないのだとしたら、後は事件や事故関連だろうか?昭和後期の資料は残念ながら探し出せなかったが、なんと1998年(平成10)にここで殺人事件が発生していことが判明した。20代の男性が河内ダムえん堤下駐車場で暴行され、放水路に投げ込まれ死亡したという事件。
佐賀県

龍造寺隆信の生誕地と高伝寺境内の墓へ【佐賀】

龍造寺隆信は1529年に肥前国の水ヶ江城で生まれた武将です。龍造寺氏は国人衆として少弐氏に仕えていましたが、隆信の下剋上によって戦国大名まで上り詰めています。肥前国を統一後、更なる勢力拡大を目指し豊後国の大友氏や薩摩国の島津氏と対立するようになりました。
佐賀県

大量殺人事件の噂?!心霊スポットとして有名な『イノちゃん山荘』について

心霊スポットとして有名になったのは稲川淳二さんの『恐怖の現場~終わらない最恐伝説~VOL.2』で紹介されている『I山荘』が発端であろう。彼は作品の中で『I山荘』についてこう語っている。こんなこと言ったらオカルト界隈から爪弾きにされそうだが、これが嘘の情報なら結構な罪を犯していると思う。
佐賀県

大財公園が心霊スポットといわれる理由について

写真の石碑が『戦死者を祀る碑』かもしれない。摩耗していて文字は全く読めなかった。1995年から420年前は1575年。肥前の熊こと龍造寺隆信が肥前国を統一するかどうかの時期だった。恐らくは『肥前国内の国人衆を排除するための戦』か『豊後から攻めて来た大友宗麟を撃退した戦』に関する古戦場なのだろう。
佐賀県

大隈重信や江藤新平が通った佐賀藩の藩校・弘道館跡へ【佐賀】

弘道館は佐賀藩・八代藩主の鍋島治茂が1781年に創設しました。十代藩主・鍋島直正は教育を重要視し弘道館を整備拡張、教育予算を大幅に増額させます。そして学び育った優秀な人材を出自問わずに登用しました。弘道館からの優秀な人材、名君・鍋島直正の先見の明が佐賀藩を他藩よりもいち早く近代化させることに成功します。