刑場

山梨県

かつて石和温泉にあったウルトラマンハウスと呼ばれる廃墟と刑場跡?

石和温泉にウルトラマンハウスと呼ばれる廃墟があった。心霊スポットとして有名だったそうだ。現在は取り壊されて存在しない。心霊スポットの噂の根拠に『かつて刑場があった』というのがある。
茨城県

渋井町緑地碑の裏面に……。東茨城郡誌や水府異聞が伝える当地の歴史とは?

幕末期の水戸藩は天狗党(尊攘派)と諸生党(保守派)の対立が激しく血みどろの戦いを繰り広げた。上洛を目指していた天狗党が越前国で降伏すると諸生党は藩内の天狗党に属する人々の粛清を行った。戊辰戦争が発生すると今度は諸生党が追い詰められ天狗党の生き残りに粛清されている。
山梨県

甲斐の仕置き場のひとつ押切刑場跡へ!ここで初めて処刑されたのは…?

市川陣屋で初めて死罪(斬首刑)の判決が下ったのは1789年(寛政元年)だった。死刑囚は百姓の関松、平四郎、吉左衛門、吉之丞の4名。罪状は集団強盗である。
山梨県

甲府代官所が管轄した山崎の刑場と幕末明治期の刑死者について

高さ2m40cmの髭題目の碑、六地蔵、数基の小さな墓碑などが一所に集まっている。刑場内の各所にあったものを回収して一纏めにしたのかもしれない。建物や電柱の陰に隠れた位置にあるので交通量の多い国道沿いにあるのにも拘らず存在感が薄い。
神奈川県

くらやみ坂を歩く。横浜の監獄&処刑場、戸部刑場跡へ!

『くらやみ坂』は暗闇坂、或いは鞍止坂とも表記される。前者は『この付近が木々に覆われていて暗かったから。』『刑場があって不気味な雰囲気だったから。』という意味が込められている。後者は『急坂だったので人や馬が止まりながら苦労して登った。』または『馬を停める程にここからの景色が抜群だったから。』といった感じらしい。
千葉県

流山市の飛地山について調べたので紹介する

流山市役所の南に位置するこの場所は飛地山と呼ばれる。その曰くから『血』の字が当てられ飛血山と称される事もあるようだ。千葉縣東葛飾郡誌に記述と図面よると葛飾県が成立してから、つまり明治時代に入ってから牢獄や刑場が設置されたことが分かる。
千葉県

処刑場があったと云うけれど…。祟りの松と西千葉稲荷大明神へ参拝!

西千葉駅北口に鎮座する西千葉稲荷大明神。 何処にでもありそうな稲荷社に見えるが、何やら暗い過去が秘められているらしい。 インターネットで西千葉稲荷大明神を調べると『鳥居の左隣に社の由緒書きが記してある』と紹介する方がいらっしゃったので訪問時に確認したけれども、恐らく由緒が書かれていたと思われる掲示板には既に何も無かった。
千葉県

全国で11番目?!佐倉藩初の腑分け(人体解剖)の地、江原刑場跡へ!

佐倉城跡から北西1km先に旧佐倉藩の処刑場跡がある。江原台一号公園の片隅に南妙法蓮華経の髭題目が刻まれた石碑がひっそりと安置されていた。太陽の照った真昼間にも拘らず生い茂る木々によって薄暗く、冷ややかな空気が流れる少々不気味な場所だった。
千葉県

関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)へ赴く!心霊の根拠は言わずもがな…。

利根川と江戸川の分岐地点に位置する中洲状の地形にある関宿町。利根川に並行して走る名も無き道に脇に南妙法蓮華経を刻まれた厳かな石碑が見えた。どうやらこの場所は関宿藩の処刑場があった場所らしい。殆ど情報は残っていないようだが、わかる範囲で紹介しようと思う。
東京都

あけぼのばし通り商店街の路地にひっそりと念仏坂!むかし念仏を唱えながら通る人がいたらしいけど…。

東京都には幽霊坂と呼ばれる坂が幾つか点在しており、粗方かつて寺院や墓地、刑場跡が脇にあったことを由来としている。名称は異なるが、新宿区曙橋の念仏坂にも似たような由来があると聞き、どんな場所か確かめるため赴いた。心霊スポットとして知られる念仏坂には、果たして如何様な曰くがあるのだろうか?
埼玉県

処刑場の名残?秩父大滝の土壇場地蔵(首切り地蔵)に参拝してきた!

埼玉県秩父市の土壇場地蔵に参拝。白滝の直ぐ近くにあることから、白滝の土壇場地蔵とも呼ばれている。また、その謂れから首切り地蔵と称されることも…。どのような歴史が残る場所なのか?振り返ってみよう。
栃木県

宇都宮藩の刑場跡?!首切り坂と松ヶ峰門について調べてみたけど…。

栃木県宇都宮市にある首切り坂へ。写真右側の旧一条中学校跡に宇都宮藩の牢屋・刑場があったため、首切り坂と名付けられたようだ。2017年(平成29)の下野新聞に【街なかお化け屋敷】について書かれた記事がある。『児童3名がお化け屋敷を取材した際、宇都宮の逸話・首切坂の謂われを聞き、怯えていた。』とのこと。
栃木県

宇都宮藩・土堂原刑場跡へ!首切り地蔵と根来組同心の処刑について

栃木県宇都宮市内にある首切り地蔵へ!土堂原地蔵堂と書かれた真新しい石碑、無数の地蔵と念仏供養塔、そしてお堂の中には『享保八年 首切地蔵』と彫られた地蔵尊が安置されている。ここは宇都宮藩の処刑場があった場所である。どのような歴史のある刑場跡なのか調べてみた。
群馬県

『前橋藩刑場跡供養塔及び道しるべ』を眺めてきた。石碑に彫られている内容を紹介するよ!

群馬県道2号線、天川大島町のすぐ近くにある前橋藩刑場跡供養塔へ!江戸時代にあった前橋藩の処刑場跡の名残である。(実際の刑場の場所はここから北に約100m離れた場所にあった。)県道2号線沿いに生える松並木。江戸時代に藩主が参勤交代に使用した江戸道の名残で、黒松の樹齢はおよそ300年だと云われている。
長崎県

苛烈なキリシタン弾圧が行われた雲仙地獄を眺めながら絶望する私

雲仙普賢岳の南西部に位置する雲仙温泉。雲仙は聖なる山で、かつては修験道の山伏らが修行のため山籠もりをしたと伝わる。奈良時代には僧・行基が温泉山満明寺を開山した。江戸時代初期、雲仙は地獄と化した。江戸幕府によるキリシタンの弾圧である。ここでは見るに堪えない程の拷問や処刑が行われた。
佐賀県

大財公園が心霊スポットといわれる理由について

写真の石碑が『戦死者を祀る碑』かもしれない。摩耗していて文字は全く読めなかった。1995年から420年前は1575年。肥前の熊こと龍造寺隆信が肥前国を統一するかどうかの時期だった。恐らくは『肥前国内の国人衆を排除するための戦』か『豊後から攻めて来た大友宗麟を撃退した戦』に関する古戦場なのだろう。
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