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稲川淳二の恐怖の現場シリーズで取り上げられた鹿行中央病院の跡地へ

ここが心霊スポットとして有名になったのは稲川淳二氏が『恐怖の現場(心霊ドキュメントDVD)』で取り上げたからだろう。手術室や生々しい注射器、残されたカルテなどなど、貴重な内部の映像が観覧出来るので気になる方は↓のリンクからレンタル、或いは購入するといい。
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平将門が討ち死にしたと云う伝説の地、北山稲荷神社ってどんなところ?

平将門に関する伝説は関東の各地に伝播していて、それらはしばしば曰く付きの場所として扱われている。流石、日本三大怨霊の御一人である。影響力が普通の幽霊とは比べ物にならない。
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神託を受けた老人が築き上げた龍宮城の跡地へ

竜宮城には幽霊出没の噂が流れている。何でも龍宮城の主人が妻を殺害し壁に埋めたという話があるのだ。上で紹介した『廃墟本2』でも妻の死に触れている。しかし文脈的には茨城県に移住する前、つまり北海道にいた頃に先立たれたと読み取れる。
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姉さんマンションとは?筑波学園都市の廃墟群の心霊スポットへ

建物の壁に何度消しても『姉さん』の文字が浮き出てくる怪現象が由来となっている。しかしながら、何度消しても浮き出るはずの『姉さん』は2022年現在すっかり消えてしまった。建物は現存しているのにも拘らずである。
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龍ケ崎市の旧竹内農場赤レンガ西洋館って何の建物?

旧竹内農場赤レンガ西洋館には心霊スポットの噂があるようだ。ここで事件や事故が発生した記録は見つからなかった。放置されていた時代に『草むらの中に不気味なレンガの廃屋があるから肝試しに行ってみようぜ!』みたいな話が出て、それが心霊スポットの噂に繋がっただけではないかと憶測している。
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美浦村の歴史的廃墟!霞ヶ浦分院と鹿島海軍航空隊基地の歴史と今後について

霞ヶ浦分院の前身は鹿島海軍航空隊基地で、司令本部庁舎、兵舎跡、ボイラー、発電機棟などの遺構が残る。鹿島海軍航空隊は1938年(昭和13)に発足。終戦の1945年(昭和20)に解隊した。霞ヶ浦の地の利を活かした水上機の訓練が行われていたと云う。
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バイパス下の謎トンネル!茨城県鉾田市の塔ヶ崎隧道へ

あまりにも古い航空写真なので参考にはならないかもしれないが、この道が昭和末期まで残っていたためトンネルを設置した可能性がある。やがて利用する住民が減っていき、いつしか廃道&廃トンネルになってしまったのではなかろうか。
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親鸞聖人に縁があると伝わる与沢の経塚へ!幽霊はもういないらしいけれど…。

親鸞聖人が常陸国(茨城県)で布教活動をしたのは1200年代前半から中盤にかけてなので、上記引用文は江戸時代末頃に書かれたものだろうか。ネットで心霊スポットとして紹介されていたので赴いたが現地案内板には『それ以後は霊は現われなくなったという。』と書かれている。
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住宅街を荒らしまわった運隆撞覇の鬼血骸村(筑波総合研究所)跡地へ!

かつて、ここは鬼血骸村(筑波総合研究所)と呼ばれていた。運隆撞覇が語る理解不能な自説のなかに登場する『北畠神社(北畠親房)、NX法則、竜』が書かれた看板がまだ残っていた。貴重な名残だ。これも直に無くなってしまうかもしれない。
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ホッケーマスクを掛けた女性の霊が…。茨城のジェイソン村とは?

茨城県のつくば市にジェイソン村と呼ばれる廃墟系心霊スポットがある。門柱の表札は取り外されておらず『中島プレス工業株式会社 牛久工場』と掲げたままだった。ところで、なぜジェイソンなんだろうか?
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解体済みの廃病院、飯地整形外科の跡地へ!幽霊出没の根拠は…?

心霊スポットの噂もあるようだが単なる廃病院だったのだと思う。手術室の生々しい残骸が連想させたのかもしれない。ただここは整形外科。医療事故が起こったのでもない限り人が死ぬような場所ではない。廃墟になった経緯が気になるところだ。
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土浦駅と慰霊碑。戦時中に発生した桜川橋梁列車三重事故の詳細について

この慰霊碑は、昭和十八年十月二六日、土浦駅構内に於て発生した列車三重衝突事故による犠牲者の霊を慰めるために建立されたものである。この列車事故は国鉄史上にまれにみる大惨事であった。死者九十六名、負傷者百余名と記録されている。
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『終わらない葬式の家』と呼ばれる謎の廃墟の由縁について

彼らによると『この廃墟とかなり縁の深い年配の方と話が出来た。遺影の話は出鱈目。大物youtuberがここを紹介したことによって、多くの人が訪れる&侵入するようになって大変迷惑している。』といった内容であった。youtubeを見る限り彼らが嘘を言っている感じはしなかった。
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ストリップ劇場の廃墟・明野劇場へ(解体済み)

1995年1月22日15時頃、明野劇場から出火。木造鉄骨造り一部2階建ての368㎡が全焼した。劇場は1994年6月より休館していたため無人であった。不法投棄のゴミが酷い。自動車で簡単にアクセス可能で、ひと気が無く、完全な死角にあるため不法投棄者にとっては抜群なロケーションなのだろう。