関東地方

神奈川県

鎌倉幕府の終焉地!北条高時の最期と腹切りやぐら

この場合の『やぐら』は見張り台の櫓ではなく横穴式墳墓を指す。腹切りやぐらは鎌倉幕府第14代執権・北条高時が切腹した場所と伝わるが、太平記を読む限りやぐらで切腹をした描写は無い。東勝寺跡は数回に亘って発掘調査が行われており、その実在は証明されている。腹切りやぐらまでのハイキングコースは全面通行止めとなっている。
神奈川県

1977年から通行止めの釈迦堂切通を遠くから眺める

この辺りは鎌倉幕府初代執権の北条時政の邸宅として紹介されていた。しかし発掘調査で複数の建物跡、火葬が行われた跡や多数のやぐらが発見されたことから廃寺の可能性が高いとされている。また発掘された最も古い遺構が北条時政が没した後の時代のものであったことから、名越邸説は覆り、大町釈迦堂口遺跡と名称を改めるに至った。
神奈川県

久木踏切の傍らにある轢死者供養塔と馬頭観音について!

久木踏切の傍らに2基の石碑が安置されている。左が1922年に建立された馬頭観音、右が1915年に建立されたと云う轢死者供養塔。横須賀線は軍事的な理由で横須賀・大船間に敷かれた歴史のある路線だ。1889年に運行を開始しているので、この供養塔はそれから約26年後に建てられた事になる。
神奈川県

中世の大墳墓!まんだら堂やぐら群跡に訪れたけど…。期間限定オープンだったというお話…。

鎌倉七口のひとつ名越切通の中にあるまんだら堂やぐら群。『やぐら』とは鎌倉市に点在する中世の横穴式墳墓のことで、主に武士や僧侶、文化人などの上流階級の人々が埋葬された。鎌倉時代後期から室町時代中期頃まで造られた『やぐら』は3000基以上確認されている。まんだら堂やぐら群は現在のところ常時開放されていない。
神奈川県

鎌倉七口・国指定史跡の名越切通を通る。吾妻鏡の『とある殺人者』の記述を添えて

現地の案内板によると名越切通が初めて史料に登場するのは吾妻鏡と紹介されている。どのような文章なのか気になったので以下に引用する。文中の名越坂が名越切通の事で、犯人を外部へ逃さないように封鎖した場所、血の付いた服を洗う犯人を捕らえた場所として描かれている。このように有事の際には各切通を封鎖し検問を敷いたのである。
神奈川県

川端康成の怪奇小説【無言】に登場する小坪トンネルへ

神奈川県鎌倉市と逗子市の境、名越切通の下部に6本のトンネルが並ぶ。その内の名越隧道と小坪隧道は1883年(明治16)に地元の有志によって穿たれたトンネルが前身となっており、大正年間に拡張や補強が為された。坑口部のレンガ積みは当時の面影を残す貴重な土木史跡として認められている。
千葉県

流山市の飛地山について調べたので紹介する

流山市役所の南に位置するこの場所は飛地山と呼ばれる。その曰くから『血』の字が当てられ飛血山と称される事もあるようだ。千葉縣東葛飾郡誌に記述と図面よると葛飾県が成立してから、つまり明治時代に入ってから牢獄や刑場が設置されたことが分かる。
千葉県

人見神社へ!扁額には政界の暴れん坊『浜田幸一(ハマコー)』の揮毫が

人見神社の扁額には『防衛政務次官 衆議院議員 浜田幸一 謹書』とある。政界の暴れん坊と称された『ハマコー』こと浜田幸一は1928年(昭和3)に君津郡青堀町で生まれた。若い頃は『ヤクザをしていた』と本人が公言する程に荒れていて、周辺の人間は実際にそうであっても何ら不思議な話では無いと思っていたそうだ。
千葉県

房総半島南部の鋸山に登ってきた!心霊スポットの噂の根拠は?

千葉県富津市と安房郡鋸南町の境に位置する標高329.4mの鋸山遠望。房州石の産地で、江戸時代中期頃から採掘が始まり1965年頃(昭和40)にピークを迎えた。採石の歴史の幕引きは1985年(昭和60)。現在は石切場跡や山中に鎮座する古刹・日本寺を目玉とした観光名所となっている。
千葉県

木更津キャッツアイで有名になった恋人の聖地・中の島大橋を渡ろうと訪れたが…。

千葉県木更津市の『中の島大橋』は本土と人工島・中の島を繋ぐ歩道橋である。2002年(平成14)に放映されたTVドラマ『木更津キャッツアイ』で中の島大橋がロケ地に選ばれ一躍有名になった。私は拝見していないので詳しくは知らないが、男女がおんぶして中の島大橋を渡るシーンがあるらしく、それが恋愛成就と結びつけられ『赤い橋の伝説』が生まれたそうだ。
千葉県

醤油のキッコーマンの関係者が造園した清水公園

清水公園について書かれている古い文献を発見したので、著者の栗田苔石 氏について何も存じ上げないけれども、一先ず紹介することにした。概ね現在と変わらない景色が想像出来る。"野田町ノ一個人"は野田醤油(後のキッコーマン)の初代社長・茂木七郎右衛門の父、茂木柏衛の事。
千葉県

えっ?切られ踏切?!まさか正式名称だとは思わなんだ

千葉県富津市の青堀駅・大貫駅間に何とも珍しい名前の踏切がある。詳細を調べずに赴いたため『そういう俗称のある踏切なのだろう。』くらいに考えていたのだが、到着して本当に驚いた。銘板に『切られ踏切道』。まさかの正式名称だったとは。一体、どのような由来があるのだろうか?
千葉県

撮影スタジオとして生まれ変わった君津会館へ!有名廃墟スポットの今と昔

現在、旧君津会館は企業によって撮影スタジオとして管理、運営されていてプロレスやドラマ、映画の撮影に利用されているようだ。だから厳密に言うと今は廃墟ではない。廃墟は2003年(平成15)に買い取られ当初は『自由空間アクアマリンスタジオ』と呼ばれていたが、現在はAQUASTUDIOの名前になっている。
千葉県

今は無き『第一ホテルみほし館』跡地へ!アサリ尽くしのアサリ御膳やアサリの漁火焼きが人気だったらしいぞ

ここには『みほし館』という小さなホテルの廃墟があった。心霊スポットというよりは廃墟として有名な場所だったようである。2017年(平成29)10月に男6名が不法侵入し軽犯罪法違反の疑いで書類送検されたという情報が残っている。
千葉県

大須賀山(堂の山)に頂に安置される馬加康胤の首塚と五輪塔の謎について

墓石や地蔵尊を脇目に奥地へ進み入ると人為的に盛り土したような小高い丘が現れ、頂に背の高い五輪塔が聳え立つ。この丘は室町時代前期に活躍した馬加康胤という武将の首塚だと伝わり、馬加康胤の死去から凡そ180年後の1637年(寛永14)に五輪塔は建てられた。
千葉県

東京湾観音に続く参道にあった観音隧道へ

大坪山の東京湾観音に続く参道の道中に観音隧道という廃トンネルがある。新しく道が敷設されてから使用されなくなり、現在は封鎖されている。 1958年(昭和33)12月に竣工されたので、時期的に東京湾観音を詣でるために穿たれたトンネルだと思われる。